金屋神社(小西行長が社木を伐採して軍船の帆柱にする)

●金屋神社
住所:長崎県東彼杵郡波佐見町金屋郷2493
駐車場:あり

 祭神は金山彦命、伊弉諾命、伊弉冉命。天平4(732)年、聖武天皇の勅願で九州に異賊鎮護の神社を創建するため、勅使・橘諸兄を当地に派遣して大和の金峯山の神を分霊したのが始まりだと伝わる。神主は橘諸兄の息子である折江舎人公行の家系が世襲したという。
 周囲には12寺6坊が建立されるほど隆盛したが、戦国時代になると当地を治めた大村純忠が洗礼を受けるほどキリスト教を信仰し、天正2(1574)年頃キリシタンによって神社仏閣の全てが焼き討ちされた(寛永14(1637)年の島原・天草一揆の際という説もある)。その後、金屋神社のみ大村藩の援助を受けて再建された。
 焼き討ちの際に御神体を佐賀県杵島郡白石町須古にあった金谷坊に避難させたため難を逃れ、文政10(1827)年に戻されている。
 朝鮮出兵の際、豊臣秀吉の使いとして小西行長が参拝し戦勝を祈願し、社木6本を伐採して軍船の帆柱とした。のちに朝鮮半島から戻った行長が願いが叶った御礼に品物を寄進したという。
 金谷山大権現、金谷宮と称していたが、明治維新後に金屋神社となった。
 寺宝として小西行長覚書、豊臣秀吉感状などがある。

(麓にある一の鳥居)
一の鳥居

(車で登って行くとある二の鳥居)
二の鳥居

二の鳥居

(大正3(1914)年役紀念の燈籠。大正3年役は第一次世界大戦のこと)
燈籠

(そこそこある石段を登る)
石段

(三の鳥居)
三の鳥居

(社叢。ここにあった6本を小西行長が伐採したのかな)
社叢

社叢

(拝殿)
拝殿

拝殿

拝殿

(社殿)
社殿

参考文献:長崎県の地名長崎県の歴史散歩、長崎県東彼杵郡誌、長崎県郷土誌、現地の案内板

感想:奥宮に行くのを忘れました。メモもしていたのに・・・。


© Tikugonokami's Logbook. All rights reserved.