●遠江鳥羽山城
住所:静岡県浜松市天竜区二俣町二俣
駐車場:あり
遺構:曲輪、堀切、石垣、土塁、竪堀
標高:104メートル/比高:63メートル
現在では笹岡城、二俣城、鳥羽山城が別々の城として認識されているが古文書には全て二俣城と記載されていた。鳥羽山城はその3つの中でもっとも南にあり西と南に天竜川が、現在は北側が二俣城と陸続きになっているが当時はその間にも二俣川が流れていた。
正確な築城年代は不明だが3つの中でもっとも新しく天正3(1575)年頃だと考えられている。この年、長篠の戦いで織田・徳川連合軍に武田勝頼が敗れ勢いを失うと、徳川家康は当城に本陣を置き武田家に奪われていた二俣城を攻め城代の依田信蕃を降伏させた。天正18(1590)年、家康が関東に移封され堀尾吉晴が浜松城主になると二俣城と当城が改修され、当城には大手道や庭園が造られ石垣が築かれている。関ヶ原の戦い後、堀尾氏が出雲に移封され代わりに浜松城主となった松平忠頼が領したが、まもなく廃城になった。
※下にスクロールすると現況遺構図がありクリックすると別のタブで拡大表示されるため、そちらを参考に下記の写真を見ると理解が深まる。
(本丸。礎石建物や庭園の跡が見つかっており軍事目的の二俣城と違って迎賓と領主の館的な要素が強かったと推測されている)
(西の丸Ⅱ。城好きにはここの遊具が有名で、知り合いも何人か滑ったことがあると話していた)
(更に東にも曲輪群があるのだが荒れており行くことができなかった。写真はその東の曲輪群との間を隔てる堀切だった場所(だと思われる)。現在は車道になっている)
参考文献:静岡県の地名、二俣城跡・鳥羽山城跡総合調査報告書
感想:本丸近くに駐車場があるため簡単に行けました。少し登りますが二俣城からも歩いて行くことができます。