錦城山勝栄寺(勝栄寺土塁)

●錦城山勝栄寺
住所:山口県周南市中央町3-10
駐車場:不明

 南北朝時代後期(1370年前後)に、開基を其阿(ごあ)として当地を支配した大内氏の重臣・陶弘政が創建した。南朝方の大内氏は北朝方との戦いに備えるため境内に土塁を巡らせている。
 弘治3(1557)年、毛利元就は防長の敵対勢力を排除するため当寺に本陣を置いて息子の毛利隆元、吉川元春、小早川隆景に宛てた三子教訓状を認(したた)めたと伝わっている。

(毛利元就公 教訓状発祥の地の碑)
教訓状発祥の地

(太閤松。朝鮮出兵の際、当寺を陣営にした際に植えたと伝わる。昭和55(1980)年の台風で倒れ切り株のみが残っている。らしいが、切り株が分からんかった)
太閤松

(庄ノ江森大明神)
庄ノ江森大明神

庄ノ江森大明神

(山門)
山門

(市指定文化財の板碑)
市指定文化財の板碑

(明治時代の俳人・花田長兵衛の墓)
花田長兵衛の墓

(本堂)
本堂

(土塁。以前は境内全体を囲っていたが今は西側半分が残っている)
土塁

土塁

土塁

土塁

土塁

参考文献:山口県観光サイト、周南市公式サイト、山口県中世城館遺跡総合調査報告書 -周防国編-、現地の案内板

感想:2009年に行った時は城に興味がなく土塁を適当に見て帰ったので今回はじっくりと見てきました。



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