出雲高守山城(立原幸隆の城)

●出雲高守山城
住所:島根県安来市伯太町井尻
駐車場:なし
遺構:曲輪、土塁、虎口、堀切
標高:154メートル/比高:125メートル

 西に伯太川が流れ、そこに複数の川が合流する水運の要衝で周辺にいくつもの城がある。永禄元(1558)年、尼子晴久の家臣・立原備前守幸隆が築城し居城、その後に毛利元就の家臣・杉原盛重が居城にしたと伝わる(『吉左衛門覚書』)。
 永禄3(1560)年、毛利軍に攻められ幸隆は戦死したと伝わるが、この頃毛利軍は出雲に攻め込んでおらず幸隆も月山富田城開城まで活動していることから、北にある長台寺城への攻撃が始まった永禄6(1563)年頃に落城し、その時の城主が戦死したのが誤伝されたと思われる。落城後、毛利軍が改修し拠点にしたと考えられている。

(麓にある城址碑)
城址碑

(全景)
全景

(入口から登ると東の尾根に辿り着く)
東の尾根

(東の尾根と城域に続く崖の間にあるAの堀切。尾根から来る敵を足止めするためだろう)
堀切

堀切

(城域に続く崖。人工的な切岸ではなく自然地形だと思うが・・・)
崖

(縄張図の曲輪Ⅵ)
曲輪Ⅵ

曲輪Ⅵ

曲輪Ⅵ

(曲輪Ⅴ)
曲輪Ⅴ

曲輪Ⅴ

(曲輪Ⅳ)
曲輪Ⅳ

曲輪Ⅳ

(曲輪Ⅲ)
曲輪Ⅲ

曲輪Ⅲ

(曲輪Ⅰ。主郭でもっとも広い。中央から先が竹藪になっており通りづらかった)
曲輪Ⅰ

曲輪Ⅰ

曲輪Ⅰ

(曲輪Ⅰにある天狗松植栽記。どれだか分からん・・・。これを見る限り、平成の中頃までは道が整備されていたのだろうか。途中にロープもあったし)
天狗松植栽記

(最北端にある曲輪Ⅱ)
曲輪Ⅱ

曲輪Ⅱ

(曲輪Ⅳ~Ⅱの西側にあり、それらを繋いでいる連絡路(腰曲輪?)。曲輪と連絡路との間に虎口もあったのだが撮り忘れた)
連絡路

連絡路

参考文献:島根県の地名、島根県中近世城館跡分布調査報告書 出雲・隠岐の城館跡、尼子氏の城郭と合戦

感想:地元の方に昔の登山道を聞いて上がりました。下記のルートマップの通り、入口から入って北北東に向かうと上記の尾根に出ます。それに沿って進み堀切を越えて直登すると城域に出ます。急斜面が多いので、それなりの装備で挑まないと滑落の危険があります。
 城域でGPSが正常に機能しなくなり谷を降りましたが入口に辿り着きました。

(縄張図)
縄張図



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