●土佐七色紙の伝承に関する史跡(うば屋敷跡、安芸三郎左衛門家友の墓、新之丞記念碑)
住所:高知県吾川郡いの町成山
駐車場:一部は駐車場、駐車スペースあり
長宗我部元親の重臣として活躍し元親の妹を妻に迎えるほど重用された波川玄蕃だったが、伊予攻めで小早川隆景と独断で和議を結んだことから元親の不興を買い冷遇される。天正8(1580)年、一条内政を担ぎ上げ謀叛を企むが露見し逃亡するが阿土国境で捕まり自害を強要された。やがて息子や家来なども殺され、残された元親の妹は剃髪して養甫尼と号し元親の誘いを断って成山に籠もる。
養甫尼は元親に滅ぼされた安芸国虎の次男・安芸三郎左衛門家友が土佐に戻ってくると庇護し、慶長年間(1596~1616年)に伊予の旅人・新之丞から朱善寺紙の製法を習い、それを元に養甫尼と家友は『土佐七色紙』を完成させている。その後、新之丞が帰国しようとしたところ、家友が七色紙の技法が他国に漏れるのを恐れて斬ったという。
土佐に山内氏が入国すると家友は七色紙を藩主に献上した。藩主は家友を御用紙方役に取り立て藩の保護下に置き技法については秘密が厳守と伝わる。
(養甫尼が隠棲していたうば屋敷跡。現在は私有地となっており立ち入り禁止になっている)
(安芸三郎左衛門の墓(板卒塔婆形五輪塔)。寛永11(1634)年に病没した)
(成山和紙の里公園から高知市街方面を望む。右に流れるのが仁淀川)
(紙業界之恩人新之丞君碑。ここ仏ヶ峠で新之丞は家友によって殺されている)
参考文献:高知県の地名、高知県の歴史散歩、長宗我部元親 50年のフィールドノート
感想:民家もない狭い道を数キロも進むため運転に自信のない方は行かない方がいいです。私も途中で引き返したくなりました。
着いた後もどんな獣が出てくるのか分からないため怖くて、他にも史跡がありましたが中止して急いで麓に降りました。