出雲平の城(雲伯の要衝)

●出雲平の城
住所:島根県安来市伯太町井尻
駐車場:なし
遺構:曲輪、土塁、堀、堀切、竪堀
標高:97メートル/比高:55メートル

 城主は承久の乱後に当地の領主となり戦国時代には尼子氏に仕えた宇津木氏だったと伝わる。尼子氏、毛利氏が重視した高守山城の南西にあり南に伯太川が流れており、高守山城と連携して水運と伯耆との国境を守るために築城されたと思われる。
 縄張図Ⅳ(通称・尼子の出張り所)が最初に築城され、次に別の勢力がⅠ・Ⅱの城を築城し、それに対抗するためⅣを拡張しⅢを新たに築いたと推測されている。尼子と毛利の戦いが激化した時代だろうか。

(全景)
全景

(井尻天満宮。祭神は菅原道真で天文16(1547)年などの棟札があり永禄10(1567)年には石川因幡守が25石を寄進している。天満宮を囲むように城があり境内には碑もあった)
井尻天満宮

碑

井尻天満宮

(間違って東に行きすぎて遺構と勘違いして撮った写真。単独だと曲輪や堀には見えるけど役割が分からなくておかしいと思い引き返した)
勘違い

勘違い

勘違い

勘違い

(引き返すと城域に入った。写真はAの堀切群)
堀切群

堀切群

堀切群

堀切群

(Ⅴの曲輪)
Ⅴの曲輪

Ⅴの曲輪

(上記から南に降る竪堀)
竪堀

(Ⅰの曲輪)
Ⅰの曲輪

(Ⅱの曲輪)
Ⅱの曲輪

(ⅠとⅡの曲輪の間にある堀切)
ⅠとⅡの曲輪の間にある堀切

(ⅠとⅡの曲輪を囲む土塁と堀)
ⅠとⅡの曲輪を囲む土塁と堀

ⅠとⅡの曲輪を囲む土塁と堀

ⅠとⅡの曲輪を囲む土塁と堀

(ⅡとⅢの間にある削平地)
ⅡとⅢの間にある削平地

ⅡとⅢの間にある削平地

ⅡとⅢの間にある削平地

(削平地とⅢの間にある堀切)
堀切

堀切

(堀切の先にある櫓台)
櫓台

(Ⅲの曲輪)
Ⅲの曲輪

Ⅲの曲輪

Ⅲの曲輪

(Ⅲの曲輪の北に延びる曲輪)
北に延びる曲輪

北に延びる曲輪

北に延びる曲輪

北に延びる曲輪

(ⅢとⅣの曲輪の間にある削平地)
ⅢとⅣの曲輪の間にある削平地

(削平地とⅣの間にある大堀切。東を意識して造られたのが分かる)
大堀切

大堀切

大堀切

(Ⅳの曲輪。全体の中で一番広い)
Ⅳの曲輪

Ⅳの曲輪

Ⅳの曲輪

Ⅳの曲輪

Ⅳの曲輪

Ⅳの曲輪

Ⅳの曲輪

(一回降りた後、天満宮に戻って再度上がったⅥの曲輪)
Ⅵの曲輪

Ⅵの曲輪

参考文献:島根県の地名、島根県中近世城館跡分布調査報告書 出雲・隠岐の城館跡、尼子氏の城郭と合戦、伯太町史

感想:地図の入口1からⅥの曲輪群を直登した方が分かりやすいです。2からも行けますが上記のように自分の位置を見失いやすいです。
 遠くから子供か猿のような奇声が聞こえてきて怖かったです。

(縄張図)
縄張図