●尼子地蔵
住所:島根県松江市鹿島町手結
駐車場:手結港の駐車場があるが利用して良いか不明
手結(たえ)港は出雲国風土記にも記載があるほど歴史のある港で近世は同市島根町の加賀港と共に北前船の寄港地などとして賑わった。
当地には天文11~12(1542~1543)年の第一次月山富田城攻めで敗れた尼子氏の武将を供養するために建てられたと伝わる五輪塔がいくつもあり、下記の写真もその一つである。五輪塔が風化してきたため地元の方が港近くに移転し、五輪塔の土台の上に尼子氏を弔う尼子地蔵を建立した。
天文11年10月2日、神田源太郎宛大内義隆書状(『長州萩町引頭某所蔵文書』)には『去月三日於雲州鯛浦(手結の浦。「たいのうら」とも呼ばれた)相動之時、頸一討捕之由(冷泉)隆豊注進尤神妙、弥可抽戦功之状如件』とあり、当地で戦闘が行われたことが分かる(『松江市史 史料編4 中世』)。
※口語訳「先月3日、出雲の鯛浦において戦闘の際、首一つを討ち取ったという報告が冷泉隆豊からあったのは神妙である。優れた戦功だったのは以上の通りである」
参考文献:鹿島町誌、山陰中央新報デジタル、島根県の地名、松江市史 史料編4 中世
感想:この港では鳥取藩士で因幡二十士の詫間奨六ら四名が長州藩と合流するため寄港したところを二十士に殺された鳥取藩の重臣四家遺族の追撃を受け討ち取られたそうです。