備後円寿寺山城(毛利秀包の城?)

●備後円寿寺山城
住所:広島県世羅郡世羅町宇津戸
駐車場:不明
遺構:曲輪、堀切、土塁、竪堀
標高:360メートル/比高:56メートル

 毛利元就の九男・秀包の城だったと言われるが真偽は不明。『芸藩通志』や『広島県史 第3編』には毛利元就の娘婿だった上原元将の息子・上原秀兼が城主だったとあり、名前が同音で著名な毛利秀包と誤伝された可能性がある。
 当地は近世に石見銀山街道が通っていたが、それ以前から石見に続く長尾道があった。城の南には芦田川の支流・宇津戸川が流れており天然の濠の役割を果たしていた。

(城の北西にある詰ノ郭だと思われる場所。祠があり、その際に築かれたと思われる石垣があった)
詰ノ郭

詰ノ郭

詰ノ郭

詰ノ郭

詰ノ郭

(詰ノ郭(仮)の縄張図)
詰ノ郭(仮)の縄張図

(土塁Ⅰ)
土塁Ⅰ

土塁Ⅰ

(竪堀Ⅰ)
竪堀Ⅰ

(主郭の郭Ⅰの南にある腰郭Ⅱ)
腰郭Ⅱ

腰郭Ⅱ

(竪堀Ⅲ)
竪堀Ⅲ

(郭Ⅰ)
郭Ⅰ

郭Ⅰ

(土塁Ⅱ)
土塁Ⅱ

土塁Ⅱ

(郭Ⅳ)
郭Ⅳ

郭Ⅳ

(一番長い郭Ⅴ。土塁もあった)
郭Ⅴ

郭Ⅴ

郭Ⅴ

(堀切・・・かと思ったら切岸を降りないと行けないので後で出来た登山道だった)
登山道

(こっちが本物の堀切。住宅街への道路になっている)
堀切

堀切

堀切

(今回は行かなかった墓地の奥にある郭Ⅵ)
郭Ⅵ

(城を離れた場所から撮影)
全景

全景

参考文献:広島県の地名、芸藩通志、広島県史 第3編、甲山町の歴史、世羅町のイベントの資料

感想:私有地で普段は入れないため世羅町の企画(山城探訪)で特別に入らせてもらいました。

(縄張図)
縄張図


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