尼子倫久の墓(上来原庄屋・佐々田家墓所)

●尼子倫久の墓(佐々田家墓所)
住所:島根県浜田市金城町上来原
駐車場:なし

 大名としての尼子家最後の当主だった尼子義久の弟・尼子倫久は雲芸攻防戦で毛利元就相手に奮戦するが兄らと共に降伏。安芸に幽閉された後、元亀元(1570)年、毛利の家臣・山内元通の娘を妻とし、当地の多雄地区に移り住んだ。
 倫久の長男・元知が義久の養子となり尼子家当主となったため、倫久の家は次男の宗久が跡を継ぎ、その後裔の通久は津和野藩から庄屋を命じられ佐々田姓に改姓している。

(墓所全景。倫久夫妻、宗久、宗嗣、倫通夫妻の四代の墓が建つ。多雄にあったが上来原庄屋跡の裏山の現在地に移転された)
墓所全景

(尼子倫久夫妻の墓。手前が妻で奥が倫久。奥さんの墓を詳細に確認しなかったが、後妻の田村秀胤の娘の墓だろうか)
尼子倫久夫妻の墓

参考文献:尼子氏と縁の地・金城町、佐々田懋翁伝、尼子氏関連武将事典、現地の案内板

感想:地元の方の話だと鳥取県米子市や島根県安来市の辺りから時たま参拝に来られる方がおられるそうです。



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