九反田地蔵尊(石田三成の娘を祀る地蔵尊)

●九反田地蔵尊
住所:高知県高知市九反田3
駐車場:無し

 慶長5(1600)年、関ヶ原の戦いに敗れて処刑された石田三成だったが、幼い娘は乳母に抱かれて当地にあった称名寺に落ち延びた。しかし娘が僅か7歳で疱瘡で亡くなったため、悲しんだ乳母は地蔵尊を建て乳母も慶長18(1613)年に亡くなる。
 称名寺は火災のため寛文2(1662)年に潮江村に移転したため、しばらくしてから土佐藩の米蔵が建てられる。その床下から震動と物音がするため、地面を掘ると首のない地蔵尊と「天周妙終尼慶長十八年六月二十二日」と刻まれた石碑が見つかった。これを米蔵の北の堤防上に安置して祀ったところ、伝承に因んで腫れ物除けに御利益があるとして信仰されるようになった。

(全景。今は住宅街の一角にひっそりと建つ)
全景

(記念碑。大正4(1915)年、米蔵の火災の類焼で地蔵尊も被害を蒙ったが鬼頭良之助さんらが尽力して再築されたとある)
記念碑

(地蔵)
地蔵

(祠。確認し忘れたが地蔵尊と石碑が安置されていると思われる)
祠

感想:本文の土佐藩の米蔵が建てられた時期ですが、現地の説明には文政年間(1818~1830年)とありました。間が空いているため、地蔵尊と石碑が見つかったのがその頃だと思います。


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