伝・片倉小十郎景綱の墓(松江市鹿島町)

●伝・片倉小十郎景綱の墓
住所:島根県松江市鹿島町片句
駐車場:なし

 常陸佐竹家は当主の義宣が若年だったため、本家を乗っ取ろうとする佐竹弾正と義宣を守ろうとする塚原土佐守の両派が対立した。そこで弾正は息子に伊達政宗の重臣・片倉小十郎景綱の娘を娶らせ後援とし土佐守を暗殺する。だが土佐守の息子・塚原ト伝が弾正を仇討ちし、やがて佐竹家も一族が滅亡し改易されてしまった。景綱は伊達家で居づらくなり当地に移り住んで高城山に築城し、その後は各地を転々として元和元(1615)年に亡くなったという。地名の片句(かたく)も片倉景綱の姓を取って地名になったと伝わる。

(片句港。ここから景綱が上陸したらしい)
片句港

(小十郎の墓の入口)
入口

(小十郎の墓。小十郎と家臣の墓とも伝わる)
小十郎の墓

(参拝した2018年10月8日にあった供え物。新しいため今でも地元では大切にされているようだ。個人的には片栗粉で作ったお菓子を供えて欲しかった)
供え物

感想:伊達や佐竹に関して無知な私でも伝承が矛盾だらけ(そして出てくるメンバーが無駄に豪華)なのは分かりますが、まあそんなものなので。片倉さんという浪人が当地に来た→住民が「片倉って仙台藩のところの片倉さんじゃないか?」→片倉「そ、そうだよ」、みたいな流れだったかもしれません。
 ネットで検索すると朝倉景綱が誤伝された可能性もあるそうです。

参考文献:鹿島町誌、島根県の地名


写真の提供についてはこちらをクリック


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA