●土佐神田南城(こうだみなみじょう)
住所:高知県高知市神田(字 白土越)
駐車場:なし。入口周辺は住宅街で道も狭く駐車スペースもない
遺構:曲輪、帯曲輪、土塁、竪堀、横堀、石積み
標高:100メートル/比高:82メートル
永禄年間(1558~1570年)、栗山城(十市城)の城主・細川宗桃が築城し、のちに家臣の鍋島修理が城代となり守備したという。永禄3(1560)年、長宗我部元親によって浦戸城から撤退させられた本山茂辰が朝倉城に籠もって抵抗。神田南城と朝倉城の間で両軍が何度も激突した。修理も戦いで戦死し高知市鴨田には修理の墓(祀っている祠?)が残っているという。元親が朝倉城から茂辰を撤退させた後に城がどうなったのかは不明である。
(下の縄張図の二ノ段から見た虎口と主郭(詰ノ段)から見た虎口)
(主郭。八幡宮と電波塔がある。周りには土塁と石積みがあった)
(二ノ段にあった散乱した石とビール瓶。石は八幡宮のものだろう。山城とビール瓶は切っても切れないものがある)
(ここら辺から横堀や竪堀に入って自分の位置を見失ってきたが、GPSを頼りに石段まで出られた)
参考文献:高知県の地名、土佐の山城、高知市の城跡、日本城郭全集 第13
感想:八幡宮への参道があるため容易に登れます。ただし鳥居に行く入り口が分かりづらいため、下のGoogleMAPを参考にしてください。
神田南城の北の能茶山(高知市鴨部)に神田城(神田旧城)があり、その南にあったためこう呼ばれています。神田城は宅地開発、土佐藩が経営した窯が開かれたなどの要因で消滅しました。