●土佐朝倉城
住所:高知県高知市朝倉
駐車場:なし
遺構:曲輪、横堀、竪堀、土塁、堀切
標高:110メートル/比高:97メートル
県指定史跡。長岡郡の北部・本山城を本拠地としていた本山梅渓は土佐中部の海沿いへの南下政策を取った。その際、中南部の拠点として大永年間(1521~28年)に築いたという。浦戸や仁淀川を渡って吉良氏を破るなど勢力を広げたが、梅渓の子・茂辰の代になると長宗我部氏が伸張し永禄5(1562)年に長宗我部元親が朝倉城を攻めた。支えきれなくなった茂辰は翌年に城を自焼し本山城に撤退している。その後は元親の家臣が守備にあたった。
(現地にある解説板。以降はこれをもとに遺構の場所を説明する)
(南側から城域に入る。写真は二の段と三の段の南の曲輪群と竪堀)
(詰西の段。草が多く現状は分からなかったが当時は全体が土塁に囲われていたのだろう)
(詰西の段や詰の段のある城域と、さらに西に延びる曲輪群を結ぶ土橋。そして左右の堀)
(茶臼ヶ森。金比羅神社が建っている。ここより先は面倒になって行かなかった)
参考文献:高知県の地名、土佐の山城、日本城郭大系
感想:県指定史跡ですが、城域は私有地と自治体の土地が混在しており周辺も開発が進んでいることから駐車場がなく立ち入り禁止の場所がいくつかありました。一部、気付かずに入ってしまった場所もあり、土地所有者の方には御迷惑をおかけしました。