土佐栗山城(十市城、十市細川氏の居城)

●土佐栗山城(十市城)
住所:高知県南国市十市
駐車場:なし
遺構:曲輪、土塁、竪堀
標高:63メートル/比高:59メートル

 南北と西を急峻な崖に囲まれ、南に広がる太平洋の商船の航路の警備が目的だったと推測されている。城主は室町幕府の管領・細川頼之の後裔と伝わる十市細川氏である。明応年間(1492~1501年)頃、細川重隆が当地に来て築城したという。天文18(1549)年、長宗我部国親に攻められ降伏した後は重臣となって活躍した。元親の時代に当主の宗桃が宿毛市の鶴ヶ城(吉奈城)に移ると息子の備前守が城主になっている。天正15(1587)年までは城として利用されていたことが分かるが、その後は不明である。

(全景・・・だが手前は民家なので直進してはいけない。詳しくは一番下のGoogleMAPを参照)
全景

(城址の入口。八幡宮までの参道があり歩きやすい)
入口

(最初、城域の東端からと思って撮ったが縄張図を見るとただの参道だった場所)
偽の西端

(下の概略図の曲輪1。周りが窪んで土橋っぽくなっている箇所があるが、現在墓が建っている場所が陥没しただけのようだ)
西端の郭

西端の郭

西端の郭

(曲輪2の東端。天正年間(1573~92)に創建されたという城八幡宮の鳥居と社殿がある。この石段の場所も昔は切岸だったのだろう)
主郭

主郭

主郭

(社殿の西にも更に曲輪があるため、苦労しながら竹藪を進むと土塁があった)
主郭

主郭

主郭

(主郭西の土塁の切れ目A。こちらが本来の入口? 昭和時代までは東の参道部分も急峻な場所だったらしいが、破壊が進んでいるので本来の縄張が不明のため何とも言えない)
主郭

(曲輪3。竹藪で写真だと伝わりづらい)
南の曲輪

(南の竪堀B)
南の竪堀

参考文献:高知県の地名、土佐の山城、日本城郭大系

感想:駐車場が近くになくて大変です。自分で見つけてください。
 本文でも書きましたが、最初に関係ない山を登って地主さんに「おーい、なんか用か」と声をかけられ城までの道を教えてもらいました。

(概略図。クリックすると別タブが開きます)
縄張図



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