中国・九州史跡巡り2010(5日目前半:毛利元就・隆元の墓、吉田郡山城)

 2010年8月15日(日)、地元の友達がお盆の休みがずれて暇でどこか行きたいというので、伯備線の倉敷駅で合流して広島県に行くことにした。私は友達関係無しに広島県に行くつもりだったんだけど。
 高速道路に乗ってまずは毛利の故郷へ。

38.安芸高田市歴史民俗博物館・・・安芸高田市吉田町吉田278-1。毛利氏や吉田郡山城など安芸高田市に関係する資料などが展示してある。
感想:一度行っているので行かなかった。友達も興味なさそうだったし。

39.毛利元就公像・・・安芸高田市吉田町吉田。
感想:いつ見ても微妙・・・。

40.毛利公居館御里屋敷跡・・・安芸高田市吉田町吉田。上記の像の真ん前にある安芸高田少年自然の家に建つ。
感想:平時はここに住んでいたのでしょうか。良く分からなかった。

41.毛利隆元の墓・・・安芸高田市吉田町吉田。吉田郡山城内にある。毛利元就の長男。毛利家の家督を相続したが、1563年、尼子攻めに向かう途中に死去した。
感想:享年41歳だったのか・・・。当時の平均年齢を考えると若死って訳でもなかったんだな。

(ちゃんと本姓の大江と刻んである)

42.毛利元就の墓・・・安芸高田市吉田町吉田。吉田郡山城内にある。
感想:10年前に来た時はストラップが映り込むという失敗をしたが、今回は大丈夫だった。

(入口)

(元就の兄・興元ら一族の墓)

(元就の墓)

43.吉田郡山城・・・安芸高田市吉田町吉田。南北朝時代に毛利時親が吉田の地頭として定着した年に築いた城。広島城に移転するまで毛利氏の本城だった。元就~輝元時代に戦国の動乱に合わせて全山に縄張りを拡大した。1540年に尼子軍3万に攻められたが、住民を含めた8千人で半年間籠城し遂には大内軍の助けを借りて撃退。広島城移転後もしばらくは支城として機能していたが、島原の乱後、キリシタンに利用されるのを恐れ、徹底的に破壊された。
感想:坂はそれほど急ではないが距離が長い。山城としてかなり評価が高いらしい。個人的には月山富田城の方がいいと思う。

(麓の入り口にある碑。毛利元就像のすぐ近くにある)

(本丸跡)

(破壊された石垣)

(整備された麓の公園)


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