中国・九州史跡巡り2010(5日目後半:吉川元春の像・元春館跡・安国寺恵瓊の墓)

 次の目的地が場所は島根県との県境沿いのため、高速道路で移動。無料区間を通らなかったら乗らなかったかも。

44.枝宮八幡神社・・・北広島町大朝4。創建された年は不明。本殿は1575年に吉川元春・元長父子によって再建されたもので県の重要文化財に指定されている。
感想:特に何も説明がなかったが、吉川家の祈願所のような場所だったのだろうか? 誰もおらず近くを車も通らないため心落ち着ける場所だった。こういう雰囲気の神社、結構好き。

(拝殿)

(吉川元春の像。これが見たかったんだよね。毛利家の中では元春が一番好き。人物を良くは知らないんだけど)

(後ろ姿。しかしコケがひどいなあ・・・)


45.武田元繁討死之地・・・北広島町有田。毛利元就が華麗な初陣を飾った場所。安芸の守護(一部だけだったようだが)だった銀山城主・武田元繁を討ち取っている。
感想:たどり着くにはかなり難易度の高い場所。分かりづらい&見落としやすいったらありゃしない。

46.吉川元春館跡・・・北広島町海応寺255-1。1583年頃に元春が隠居所として建てた館跡。1586年に元春が死去し、家督を継いだ三男・広家は出雲に移ったため、数年しか使用されなかった。現在は公園として整備されている。
感想:綺麗に整備されており町民の憩いの場となっていた。10年前のブルーシートに覆われていた時とは大違い。

(入口)

(石垣)

(館跡全景)

(吉川元春の墓。お墓の前に置いてあるのが訪問記帳。まだ残っていて何となく嬉しかった)


 この近くで日本唯一の戦国時代の風呂が体験できる施設があったが、先を急ぐので次回入ることにして去った。
 次の目的地は広島市内だったのだが、安佐北区可部に入った辺りから私のテンションが上がってきて、新太田川橋を越えると「おお、安佐南区の八木だ。この橋、良く通ったんだよなあ」とか「フタバ図書だ。懐かしい」とかぎゃーぎゃー言っていたら、友達が「鬱陶しいなあ」とバッサリ。まあ、懐かしかったのでつい・・・。
 あと、久しぶりに見ると広島市って大都会だなあ。道は広いしアストラムラインは走っているし。俺、こんなところに住んでいたんだ・・・。都会っ子だったんだ。

47.不動院・・・広島市東区牛田新町3-4-9。安芸安国寺。安芸守護・武田氏の菩提寺として栄えたが、大内氏と武田氏との戦いで伽藍が焼け落ち、さらに武田氏の滅亡で寺運は傾いてしまう。しかし安国寺恵瓊の力で再興し、毛利氏が山口県に去った後も福島氏・浅野氏によって手厚く保護された。原子爆弾が投下された際、近くの牛田山のおかげで被害を免れ、現在も当時の建物がそのまま残っている。
感想:住んでいた時に近いから一度は行こうと思っていたが結局行かないまま引っ越してしまった。予想していたよりもはるかに立派だった。

(楼門。国の重要文化財)

(金堂。国宝。地元の方から「楼門から撮影するといいですよ」と教えられて撮った一枚)

(豊臣秀吉遺髪塔)

(安国寺恵瓊の墓)

(福島正則の墓)


 本日はこれにて終了。ホテルにチェックインした後、3年前と同じく八昌という有名なお好み焼き屋に行くが大行列で諦めて他の店に行った。食事を適当に済ますとホテルに戻って就寝(-.-)Zzz・・・
本日の感想:元春がメインの一日だった。山城とかも行きたかったけど、時間は無いし友達が興味もなかったからね・・・ーー;

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