●吉田郡山城
住所:広島県安芸高田市吉田町吉田
駐車場:あり
遺構:曲輪、土塁、堀切、石垣など
標高:390メートル/比高:190メートル
南北朝時代に毛利時親が吉田の地頭として定着した年に築いた城。広島城に移転するまで毛利氏の本城だった。元就~輝元時代に戦国の動乱に合わせて全山に縄張りを拡大した。天文9(1540)年に尼子軍3万に攻められたが、住民を含めた8千人で半年間籠城し遂には大内軍の助けを借りて撃退。広島城移転後もしばらくは支城として機能していたが、島原の乱後キリシタンに利用されるのを恐れ徹底的に破壊された。
(城を登ってすぐのところに建つ嘯岳禅師の墓。嘯岳は毛利元就の菩提寺・洞春寺を開山するほど毛利家からの信頼の厚い僧だった)
(山頂近くでガサガサと音がするから他の観光客が降りて来たのかと思ったら鹿だった。毛利の居城に鹿・・・)
(御蔵屋敷跡。釣井の壇やこの後に行った三の丸もだが大きな石が転がっているのは、破城されたためか?)
(登りは毛利元就の墓の建つ西から来たが、帰りは南の郡山公園に向かって下りる。下りてすぐにあるのが南西に延びた勢溜の壇と呼ばれる曲輪群)
(勢溜の壇から見た吉田町の街並み。向かって右手に見える山が尼子軍が陣を敷いた青山城)
(満願寺跡。毛利家にとって大事なことが決められたり、いろんなお客さんが来た場所らしい)
(南の中腹に位置する尾崎丸。毛利隆元がいた場所らしい。「毛利家の文書で見る尾崎局の名前ってここから来ているのか」とか思いながら廻っていた)
(尾崎丸を下りると、かつての吉田郡山城の中心であった旧本城に出る)
(疲れていたので麓の旧本城から貴船神社の辺りに出たいと思ったが、迷いたくなかったので登って登山道に戻った)
感想:さすが毛利元就の居城。大規模な城で一周しただけで5キロも歩いていました。