令和6年正月の月山富田城(正月山)

 今年も、正月に尼子ファンや広瀬町民が行うという伝統行事・正月山(しょうがっさん)を私も行ってきた。これは正月に月山富田城に登って尼子再興を願う元和年間から続く伝統行事で、正月が悪天候であればあるほど登頂の七難八苦に比例して再興が近づくと言われる。出典はない。今年で3度目。

(今回も行く際に気合いを入れるため着て行った尼子再興Tシャツ)
尼子再興Tシャツ

尼子再興Tシャツ

(最初に行った尼子経久の像。そしてそこから見た月山富田城全景。前日は暴風雨だったが今日は雨がパラついていたくらいだった。まあ山陰の正月で晴れることなんて、まずないからね)
尼子経久の像

月山富田城全景

(道の駅で集合して登る。今回は参加者が増えて3人になった。1年に一人ずつ増えているから来年は4人だな)
道の駅

(馬乗馬場、千畳平、尼子氏之碑。碑の道がちょっと荒れていた)
馬乗馬場

千畳平

千畳平

尼子氏之碑

(いろんな角度から見た山中鹿介の像。水も滴るいい男?)
山中鹿介の像

山中鹿介の像

山中鹿介の像

(花ノ壇と堀切)
花ノ壇と堀切

花ノ壇と堀切

花ノ壇と堀切

(山中御殿平。門松があった)
山中御殿平

山中御殿平

山中御殿平

(一番キツい七曲がりを登ると三の丸と二の丸に出た。ここからの眺めはいつ見ても良い。京羅木山方面は霧が出ていた)
三の丸と二の丸

三の丸と二の丸

三の丸と二の丸

(本丸。奥の勝日高守神社で尼子再興を祈った・・・と言いたいところだが、普通に自分のことを祈った)
本丸

本丸

本丸

(後は大土塁などを見ながら下山)
三の丸

大土塁

広瀬町

(そのまま歩いて尼子氏の菩提寺・洞光寺に行き尼子清定と経久の墓を参拝した。そして道の駅に行って解散。御参加いただいた皆様、ありがとうございました!)
洞光寺

洞光寺

洞光寺

洞光寺

(新しいスマホで取ったGPSログ。一部おかしいところがあるけど、まあ精度はこんなもんかな)

 正月の朝から軽い運動をすると気持ちが引き締まる感じがするので来年も予定がなければやるつもり。



南陽山慈恩寺(伝・足利直冬終焉の地)

●南陽山慈恩寺
住所:島根県江津市都治町1174
駐車場:境内にあり

 臨済宗東福寺派。正嘉2(1258)年、東福寺の悦山が畑田村(現在の江津市松川町畑田)の山腹に閉居し、周囲の住民が帰依して創建されたと伝わる。
 足利尊氏の庶子で反幕府側として戦い消息不明となった足利直冬は当寺で余生を送り、応永7(1400)年3月7日に畑田村の高畑城で亡くなったという。法名は慈恩寺殿玉渓道昭居士で当寺に葬られた。本尊は直冬が兜に付けていたという観音像で、33年に一度開帳される。
 盛時は末寺が20以上あり伽藍も偉容を誇ったが、文亀3(1503)年に火災のため焼失し現在地に移された。明治5(1872)年、寺子屋教育が始まり、それがやがて都治小学校となる(現在は江津東小学校に統合されている)。

(全景)
全景

(本堂)
本堂

(転輪蔵。経蔵中に設けて、経典を収納するための回転式の書棚のこと)
転輪蔵

(鐘楼)
鐘楼

参考文献:江津市誌 上巻、江津市誌 下巻、石見社寺案内、島根県の地名、現地の碑

感想:足利直冬の亡骸は高畑城の東北の慈恩寺跡に葬られているようですが正確な場所は分かりません。



石見矢川城(矢ヶ尾城、永安氏の支城)

●石見矢川城(矢ヶ尾城、矢が尾城)
住所:島根県浜田市弥栄町大坪
駐車場:なし
遺構:曲輪、土塁、堀切、竪堀、横堀
標高:431メートル/比高:87メートル

 中世、当地は永安別符(石見矢懸城を参照)の一部で永安氏の支配地域だった。戦国時代、永安氏は大内義隆を自害に追いやった陶晴賢に益田氏などと共に味方がしたたため、天文23(1554)年(弘治元(1555)年、弘治3(1557)年とも)に吉川元春らの軍勢に攻められ落城している。
 北に三隅川、南に小角川が流れる天然の要害で永安氏が居城の矢懸城から移って緊急時に立て籠もったという説もある。しかし木束郷との境目にあるため、境目を守る目的で築かれたと思われる。吉川氏の支配後は家臣の桑田氏が城番となり、その際改修され城の中心が東側から西側に移ったと推測されている。

(下の縄張図にある東端の堀切。笹藪をかき分けて何とか登り続け到達した)
堀切

(東端の堀切の西にある曲輪?)
曲輪

(東側の中心的な曲輪③に出た)
曲輪③

(曲輪③の南にある帯曲輪)
帯曲輪

(曲輪④)
曲輪④

(曲輪⑤。木が繁っているので、この辺りから笹藪が少なくなり遺構がはっきりと視認できるようになってきた)
曲輪⑤

曲輪⑤

(曲輪⑥とその周辺。竪堀も写したが、やはり分からない)
曲輪⑥

曲輪⑥

曲輪⑥

曲輪⑥

曲輪⑥

(曲輪②。また笹藪が・・・)
曲輪②

曲輪②

(曲輪②の先にある堀切群。この城の最大の見所だった)
堀切群

堀切群

堀切群

堀切群

堀切群

堀切群

堀切群

堀切群

(曲輪①に来たら、笹藪が酷い。帰りの体力と熊の心配があったので引き返した)
曲輪①

曲輪①

(三隅川と矢川城。この時、ちょうど15時で町内放送が流れ始め「熊が出たのか!?」と思ったら「健康のためにラジオ体操をしましょう」という内容だった・・・)
三隅川と矢川城

参考文献:石見の山城、島根県の地名、島根県中近世城館跡分布調査報告書 石見の城館跡、矢懸城の案内板

感想:写真はありませんが城域に行くまでの笹藪には本当に参りました。何度も引き返そうと思ったくらいです。
 ここにも白南天の木の下に隠し財産があるという伝承があり近世に掘られたそうです。矢懸城に通じるルートがあるらしく二つの城は連携していたようです。

(縄張図)
縄張図