●石見矢川城(矢ヶ尾城、矢が尾城)
住所:島根県浜田市弥栄町大坪
駐車場:なし
遺構:曲輪、土塁、堀切、竪堀、横堀
標高:431メートル/比高:87メートル
中世、当地は永安別符(石見矢懸城を参照)の一部で永安氏の支配地域だった。戦国時代、永安氏は大内義隆を自害に追いやった陶晴賢に益田氏などと共に味方がしたたため、天文23(1554)年(弘治元(1555)年、弘治3(1557)年とも)に吉川元春らの軍勢に攻められ落城している。
北に三隅川、南に小角川が流れる天然の要害で永安氏が居城の矢懸城から移って緊急時に立て籠もったという説もある。しかし木束郷との境目にあるため、境目を守る目的で築かれたと思われる。吉川氏の支配後は家臣の桑田氏が城番となり、その際改修され城の中心が東側から西側に移ったと推測されている。
(下の縄張図にある東端の堀切。笹藪をかき分けて何とか登り続け到達した)
(曲輪⑤。木が繁っているので、この辺りから笹藪が少なくなり遺構がはっきりと視認できるようになってきた)
(曲輪①に来たら、笹藪が酷い。帰りの体力と熊の心配があったので引き返した)
(三隅川と矢川城。この時、ちょうど15時で町内放送が流れ始め「熊が出たのか!?」と思ったら「健康のためにラジオ体操をしましょう」という内容だった・・・)
参考文献:石見の山城、島根県の地名、島根県中近世城館跡分布調査報告書 石見の城館跡、矢懸城の案内板
感想:写真はありませんが城域に行くまでの笹藪には本当に参りました。何度も引き返そうと思ったくらいです。
ここにも白南天の木の下に隠し財産があるという伝承があり近世に掘られたそうです。矢懸城に通じるルートがあるらしく二つの城は連携していたようです。