石見矢懸城(永安城、永安氏の居城)

●石見矢懸城(永安城)
住所:島根県浜田市弥栄町長安本郷
駐車場:あり
遺構:曲輪、畦状竪堀群、堀切
標高:472メートル/比高:95メートル

 永安別符(弥栄地区(旧弥栄村)の大部分を占めていた別符。別符とは平安時代から鎌倉時代にかけて成立した土地制度で、本来の荘園に付随していた区域が本荘とは別の国司免符などを得て独立的な性格を帯びること。また、その土地や地域。九州地方に多い)の支配の拠点と考えられている。仁治3(1242)年、三隅兼信の次男・兼祐が当地の代官となり永安に改姓した。その頃に築かれたというが定かではない。
 戦国時代、永安氏は大内義隆を自害に追いやった陶晴賢に益田氏などと共に味方がしたたため、天文23(1554)年(弘治元(1555)年、弘治3(1557)年とも)に吉川元春らの軍勢に攻められ落城した。当主の大和守(式部少輔とも)は益田氏の居城・石見七尾城に落ち延びるが、益田氏が毛利氏に降伏すると自害したという。

(全景)
全景

(下の縄張図の曲輪群Ⅰ)
曲輪群Ⅰ

(曲輪群Ⅰの西にある畦状竪堀群。全く分からんかった)
畦状竪堀群

(標高480と記載のある場所。ここが主郭だろう。愛宕神社が建てられている)
主郭

主郭

主郭

(曲輪Ⅱ)
曲輪Ⅱ

(曲輪Ⅱの先にある堀切。写真では分からないが、かなりの規模。『石見の山城』には大堀切と記載してあった)
堀切

堀切

堀切

(堀切の先に続く尾根)
尾根

(曲輪Ⅲ)
曲輪Ⅲ

曲輪Ⅲ

(曲輪Ⅳ)
曲輪Ⅳ

参考文献:石見の山城、島根県の地名、現地の案内板、島根県中近世城館跡分布調査報告書 石見の城館跡、西石見の豪族と山城

感想:この辺りで食事をしようとしましたが食堂どころかコンビニもなく弥栄地区で唯一のスーパー・Aコープで食糧を調達しました。山陰で問題になっている買い物難民の気持ちが理解できました。
 城のルートマップで南側をうろうろしてますが入口が分からなかっただけです。地図に入口を載せていますので、そこから行けば整備された愛宕神社を参拝するための参道を登ることができます。

(縄張図)
縄張図



コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

CAPTCHA