土佐池城(池氏の居城)

●土佐池城
住所:高知県高知市池
駐車場:高知県立池公園に駐車可能
遺構:曲輪、竪堀、堀切、土塁
標高:59メートル/比高:54メートル

 当地は古代、南の太平洋が入り込んだ地区であったが海岸が隆起し陸地となった。そのために池や湿地帯が多く地名もそれに由来しているという。現在も南に住吉池が残る。そういった地形を利用して築城されたと思われる。
 築城年代は不明だが城主は栗山城(十市城)の城主だった細川宗桃の次男・池豊前守頼定だった。長宗我部国親が勢力を拡大すると頼定は従おうとするが、家臣の反対で敵対したため国親に城を攻められる。やがて頼定の息子・頼和と国親の娘(長宗我部元親の妹)の婚姻を条件に降伏。以降、池氏は長宗我部氏に従ったが、頼和が妻と不和になり朝鮮出兵の従軍も拒否したことから隣の仁井田村の清道寺で自害させられた。

(城の入口)
城の入口

(階段を登ると直ぐに下記の縄張図にある神社跡に出る。主郭(縄張図では詰ノ段)の下にあるので、ここも曲輪だったのだろう。神社の石垣や石段が残っている)
神社跡

神社跡

神社跡

神社跡

神社跡

(神社跡にある竪堀)
神社跡

(縄張図にある竪堀)
竪堀

(北側の堀切群とその間にある曲輪)
堀切群

堀切群

堀切群

堀切群

堀切群

堀切群

(堀切から主郭の切岸を見る。そしてその逆。迂回が面倒なので登った)
切岸

切岸

(主郭の北の土塁)
土塁

(主郭)
主郭

主郭

主郭

主郭

(主郭の南にある二ノ段)
二ノ段

二ノ段

二ノ段

二ノ段

(全景)
全景

参考文献:高知県の地名、土佐の山城、高知市の城跡、土佐名家系譜

感想:神社跡の道が整備されており城域に行くのは容易です。
 ここで初めて山城巡りをしている方と山城で出会いました。「安芸郡に行くつもりだったのでハーベスト出版の『土佐の山城』ではなく『安芸の山城』を間違って持ってきてしまった。ネットの情報を見て廻っている」と話されていました。

(縄張図)
縄張図



藤井山五智院 岩本寺(四国八十八ヶ所霊場第三七番札所)

●藤井山五智院 岩本寺
住所:高知県高岡郡四万十町茂串町3-13
駐車場:あり

 真言宗智山派。四国八十八ヶ所霊場第三七番札所。本尊は不動明王、観世音菩薩、阿弥陀如来、薬師如来、地蔵菩薩。天平年間(729~749)、行基が現在の高岡神社(五社神社)の境内に創建した。天長3(826)年、空海が行基が創建した寺を神宮寺として福円満寺とし、神社も5つに分けて五社大明神とする。その際、それぞれに本地仏を安置したため現在でも本尊が5体ある。
 享禄・天文年間(1528~55)頃に福円満寺が衰微したため、金剛福寺の住職で高岡神社の別当職の尊海法親王が福円満寺の法灯と別当の役目を当地に移し宿坊・岩本坊を創建した。天正17(1589)年にはその名が地検帳に見えるが16世紀末に焼失してしまう。その後、再建され岩本寺に改号した。明治4(1871)年に廃仏毀釈の影響で廃寺となるが明治12(1879)年に再興している。

(参道)
参道

(山門)
山門

(鐘楼)
鐘楼

(本堂)
本堂

(仏足跡)
仏足跡

(石仏)
石仏

(全景)
全景

(手水舎)
手水舎

(近世に当地を治めていた窪川山内家(林家)六代の墓)
窪川山内家(林家)六代の墓

感想:裏山の窪川城に行った際に参拝しました。



土佐片岡城(片岡氏の城)

●土佐片岡城
住所:高知県高岡郡越知町片岡
駐車場:なし
遺構:曲輪、竪堀、堀切、土塁
標高:165メートル/比高:103メートル

 南に仁淀川、西に谷の内川が流れており城の東西は急峻な崖で北は標高の高い連山がある天然の要害だった。築城年代、築城者は不明だが当地を支配した片岡氏の城である。東にある法厳城が本城で片岡城は支城だったという(法厳城を片岡城と呼んでいたという説あり)。
 片岡氏の出自は諸説あり定かではないが遅くとも応仁の乱の頃には土佐に入国し勢力を広げた。長宗我部氏が西に侵攻してくると家臣となって、四国攻めでの伊予の戦い(天正の陣)や豊後の戸次川の戦いで奮戦している。

(神社の参道があるので登りやすい)
参道

(すぐに南端の曲輪に辿り着く)
南端の曲輪

(南側の竪堀。当時は参道がなかったため、南から攻めて来た敵に対して効果的だったのだろう)
南側の竪堀

南側の竪堀

南側の竪堀

南側の竪堀

南側の竪堀

(南端の曲輪のすぐ北にある曲輪)
北にある曲輪

北にある曲輪

(上記の北にある曲輪。要するに三段になっており、その西の斜面に上記の竪堀がある)
北にある曲輪

(三段の曲輪を利用して造られた参道を登り切ると鳥居や社殿のある逆L字型の主郭に辿り着く)
主郭

主郭

主郭

主郭

主郭

主郭

(主郭にある片岡氏発祥五百年祭記念碑。建てられたのが昭和10(1935)年に見えるが鮮明でないため自信がない)
片岡氏発祥五百年祭記念碑

(主郭の西端の曲輪。中央に堀切があり、三方が崖になっており堅固だったのが分かる。見学するには危険が伴うので注意が必要)
西端の曲輪

西端の曲輪

西端の曲輪

(主郭の北にあり一番高い位置にある曲輪。さほど広さはなく『土佐の山城』には宗教的な儀式で利用された可能性があるとの記載があった)
高い位置にある曲輪

高い位置にある曲輪

(上記の後ろ(更に北)にある巨大な二重の堀切。北に続く連山と城域を切断するためだろう。個人的には一番の見所だった)
二重の堀切

二重の堀切

二重の堀切

二重の堀切

二重の堀切

二重の堀切

二重の堀切

二重の堀切

(堀切から見た一番高い位置にある曲輪。この切岸を登るのは無理)
切岸

参考文献:高知県の地名、土佐の山城、日本城郭大系、越知町史

感想:社殿までは簡単に登れますがそこから先の堀切などは道が整備されていないので、それなりの装備で行った方がいいです。