三河花火発祥の地の像

 関ヶ原の戦い後、徳川家康が三河の鉄砲隊に花火造りを命じたのが始まり。家康自身も1613年に駿府城で花火を楽しんでいる。その後、火薬の製造を三河以外では禁止したため三河花火が発展した。
 現在も全国の数割のシェアを占め三河は花火の生産地として知られている。

(岡崎公園の竹千代橋の麓にある三河花火発祥の地の像。徳川家康生誕450年を記念して作られた)

(岡崎市の花火大会が行なわれる乙川)

(乙川にある帆掛け船の碑。この辺りは岡崎城の船着き場だった)

(岡崎市のマンホール)

コラム:花火大会の写真があったはずなのですが、画像が消えていました・・・。


写真の提供についてはこちらをクリック


金地院(京都)

住所:京都市左京区南禅寺福地町86-12

 南禅寺の塔頭の一つ。応永年間、大業和尚が開基。1605年に崇伝が現在地に移築した。方丈の襖絵は狩野派の作、茶室八窓席は小堀遠州の作として知られる。所蔵の渓陰小築図・秋景冬景山水図は国宝。

(表門)

(明智門。明智光秀が1582年に母の菩提のため大徳寺に建立。1868年に移築された)

(東照宮)

(鶴亀庭園。小堀遠州の作)


写真の提供についてはこちらをクリック


本能寺

住所:京都市中京区寺町通御池下る下本能寺前町522

 京都市中京区寺町にある法華宗本門流の大本山。山号は卯木山。1415年、日隆が創建。はじめ本応寺といい油小路高辻と五条坊門との間にあったが、のち四条西洞院油小路に移り現名に改称。1582年、本能寺の変で焼失。1589年、現在地に移転。境内に織田信長の供養塔がある。

(山門)

(本堂)

(織田信長公廟)

(本能寺の変戦没者供養塔)

コラム:実際に信長が討たれた元本能寺には京都市史跡巡り2011(2日目)に載せています。


写真の提供についてはこちらをクリック