岡崎市史跡巡り2011(前半:勝鬘寺・松平家忠の墓)

2.勝鬘寺・・・愛知県岡崎市針崎町字朱印地3。浄土真宗本願寺派の寺で三河三ヶ寺の一つ。三河一向一揆の際、拠点となり蜂屋半之丞が立て籠もったため、大伽藍が焼失した。現在の本堂は享保年間に再建されたものである。
感想:北から行くと駐車場に入りづらい。

(本堂)

(山門)

(渡辺高綱戦死地。高綱は槍半蔵と呼ばれた渡辺半蔵守綱の父。上和田の戦いで負傷し当地で討ち死にした)


3.本光寺・・・愛知県額田郡幸田町大字深溝内山17番地。曹洞宗。深溝松平の初代・松平忠定の開基。深溝松平家の菩提寺となる。あじさい寺として知られている。
感想:叔母さんと話しているうちに行きたくなったので再訪。

(山門)

(三河吉田城主だった5代・松平忠利の廟)

(願掛け亀。亀のエリ首に賽銭が入ると願いが叶うと言われている)

(深溝松平家1~4代の墓。一番左が家忠日記で知られる松平家忠の墓。2~4代は徳川家のために戦死している)

(本堂)

(東廟所。6代目からの歴代当主の墓がある(一部を除く)。福知山・島原城主となってからも当主は当寺に葬られた)


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岡崎市史跡巡り2011(岡崎城・葵武将隊)

 2011年8月13日(土)、岡崎市に用があって行ったので、ついでに史跡巡りをした。

1.岡崎城・・・岡崎市康生町。

感想:20回以上は行ってる。今回は今年結成された葵武将隊を見るために行った。

(始まる直前。そこそこ人が集まっている。グッズを持った女性もいたので、追っかけされている方もおられるようだ)

(武将隊の自己紹介の後、踊りが始まる)

(三河武士のやかたから出てきた後で撮影したもの。こっちから見ると結構人がいるのが分かる)

(最後にメイン(?)の堪忍踊りが始まった。舞台側に引っ張り出された子供が大泣きしていた・・・)

 園内のお店や三河武士のやかたのグッズも充実してきたし、岡崎城が多少なりとも盛り上がってきた気がする。これを機に岡崎市内全体が盛り上がると嬉しい。
 葵武将隊が去った後は適当に園内を廻った。

(松が邪魔なことで有名な岡崎城天守)

(徳川家康像)

 デジタル一眼レフで、ストラップと史跡を一緒に撮ってみたけど、一眼レフはこういう撮影に向いてないね…。絞ってもどうしてもボケてしまう。こういう撮影はコンパクトデジカメが向いてる。
 うろうろしていたら、ちょうど12時になったので、シビコの地下のフードコートで食事をした。そこに入っていた中華料理屋の580円ランチを食した。

(台湾ラーメン+中華飯)

(フードコート。愛知なので当然のごとくスガキヤが入っている)

 帰りにちょろっと岡崎市立中央図書館に寄ってみた。そこで素敵な企画のポスターを見つけた。
第7回「徳川家康公作文コンクール」
 第8回は9月1日から募集するらしい。しかし第7回の德川賞の作品は素晴らしいな。小学六年生で三河一向一揆について語るとは(徳川家康と三河武士との絆)。

 さてこれからが史跡巡りの本番。その最初はその三河一向一揆に関係した史跡です。

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高台寺(北政所の墓所)

住所:京都市東山区高台寺下河原町526

 正式名称は「高台寿聖禅寺」。臨済宗建仁寺派。1606年、豊臣秀吉の菩提を弔うために妻・北政所(高台院)が、開創した。徳川家康の援助を受け壮麗を極めたが、度々の火災で多数の建物が失われる。しかし霊屋などが現存し、国の重要文化財に指定されている。

(表門)

(庫裡)

(庭園。小堀遠州作)

(霊屋。北政所の墓所。ここより先は撮影禁止)

コラム:何度か訪れましたがお正月に行った際に餅をもらったのが一番の思い出です。


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