蕃塀(拝殿や本殿を直視させない塀)

●蕃塀(ばんぺい)

 東海三県でしか見ることがない蕃塀。拝殿や本殿を直視できないようにするためにあるという。御簾(みす。宮殿・神殿などに用いる簾。ドラマだと天皇の前にあることが多い)と同じ役割だと思われる。

(愛知県津島市の津島神社の蕃塀。ここで神職の方に蕃塀の意味を教えていただいた)
津島神社の蕃塀

(愛知県あま市の漆部神社の蕃塀)
漆部神社の蕃塀

(愛知県あま市の貴船社の蕃塀)
貴船社の蕃塀

(愛知県一宮市の石刀神社の蕃塀)
石刀神社の蕃塀

(三重県伊勢市の伊勢神宮の外宮にある蕃塀)
伊勢神宮の蕃塀

感想:何となく載せてみました。当時は意識して見ていなかったので、上記の他にも写真があると思います。
 蕃塀については専門サイトの蕃塀マニアさんがあるので、そこを見られるのが一番良いと思います。


築山屋敷推定地(瀬名姫(築山殿)の屋敷跡)

●築山屋敷推定地
住所:愛知県岡崎市康生通南3丁目
駐車場:周囲に有料駐車場あり

 徳川家康の正室・築山殿の屋敷が現在のNTT西日本岡崎ビルや岡崎康生郵便局の辺りにあったという。郵便局の辺りに築山稲荷があり当地が築山と呼ばれるようになり、築山殿は総持尼寺のあった岡崎ビルの辺りに住んでいたと伝わる。築山稲荷、総持尼寺ともに移転し現在も岡崎市内にある。

(郵便局)
郵便局

(郵便局から東方面の通りを望む)
東側方面

(上記の先にある岡崎信用金庫資料館。推定地から若干外れる。大正6(1917)年に岡崎銀行本店として建てられた。昭和57(1982)年から資料館になっている)
岡崎信用金庫資料館

岡崎信用金庫資料館

(井伊直政像の後ろに見えるのがNTT西日本 岡崎ビル)
井伊直政像

参考文献:岡崎おでかけナビ(岡崎市観光協会公式サイト)、岡崎信用金庫の公式サイト

感想:あくまで推定地です。


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根石山祐傳寺(築山御前の首塚)

●根石山祐傳寺
住所:愛知県岡崎市両町2丁目56
駐車場:あり

 浄土真宗高田派。天正7(1579)年、松平信康と築山御前が自害を強要されると投町(なぐりちょう、現在の岡崎市朝日町と若宮町)の領主・柴田正親が殉死する。正親の次男・六郎は信康と築山御前の菩提を弔うため出家し、法名を祐(遊)傳坊了慶とし、投町に当寺を創建した。『三河聡視録』によると徳川家康が神明宮の別当を命じたという。
 慶長6(1601)年、伊奈忠次から2石の黒印状を受けた。正保3(1646)年、岡崎城主・水野忠善から現在地への移転を命じられ石高も5斗減らされる。その後、当寺の四世が幼少のため衰微し宝永年間(1704~11年)には寺領を失い、伽藍の修理ができず太子堂のみが残った。だが天保年間(1830~44年)に伊勢から来た僧・良道が再興。明治44(1911)年には本堂が再建されている。

(鐘楼門に見えたが鐘がない。大正12(1923)年に再建された)
門

(本堂)
本堂

(築山御前の首塚)
築山御前の首塚

参考文献:愛知県の地名、岡崎市史 第7巻

感想:雨の中での撮影で苦労しました。この近くに住んでいたので、その時に参拝しておけばよかったです。
 岡崎おでかけナビには「築山殿の首は信長の実検を受けた後、徳川家康の家臣・石川数正がその首を持ち帰りこの祐傳寺に葬ったとされています」とありましたが、岡崎市史などには記載がありませんでした。寺伝でしょうか・・・。


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