三河花火発祥の地の像

 関ヶ原の戦い後、徳川家康が三河の鉄砲隊に花火造りを命じたのが始まり。家康自身も1613年に駿府城で花火を楽しんでいる。その後、火薬の製造を三河以外では禁止したため三河花火が発展した。
 現在も全国の数割のシェアを占め三河は花火の生産地として知られている。

(岡崎公園の竹千代橋の麓にある三河花火発祥の地の像。徳川家康生誕450年を記念して作られた)

(岡崎市の花火大会が行なわれる乙川)

(乙川にある帆掛け船の碑。この辺りは岡崎城の船着き場だった)

(岡崎市のマンホール)

コラム:花火大会の写真があったはずなのですが、画像が消えていました・・・。


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三河花火発祥の地の像」への3件のフィードバック

  1. 月菜さん

    岡崎市は打ち上げ花火の生産で有名らしいです。手持ちも作っているかもしれませんが・・・あまり詳しくなくて^^;

    >家康は岡崎市民の誇りですね。
    何と言っても天下を獲ってますから。

    私も今年は花火大会に行っていないですTT

    マンホールは市町村によって違うので、写真を撮るのが趣味の方もおられるみたいですよ。

  2. >数割のシェアを占め三河は花火の生産地
    初めて知りました。ビックリしましたの。
    もしかして大花火じゃなくて玩具として遊ぶ花火のことかしら?
    徳川家康生誕450年を記念して作られたの!?
    家康は岡崎市民の誇りですね。
    7月30日、集中豪雨による災害が起こりましたので大花火大会はどうなるだろうと心配していました。
    無事に大花火大会が閉会されました。
    私は見られなかったけど。

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