大内義隆供養塔(萩市)

●大内義隆供養塔(萩市)
住所:山口県萩市片俣御舟子(みふなご)
駐車場:1台分の駐車場あり

 天文20(1550)年、大寧寺の変で大内義隆が陶晴賢によって自害に追い込まれると、義隆の2歳の遺児(大円宗岳)は乳母に連れられて山口市嘉年の極楽寺まで落ち延び預けられた。そして当地に養雲院を再興し義隆の供養塔を建てている。
 養雲院は明治3(1870)年に近くの霊光寺と合併し光雲寺となったため廃寺になっている。養雲院の本尊は大内義隆の持念仏「十一面観世音」だったという。

(養雲院跡。害獣除けの柵があった)
養雲院跡

養雲院跡

(大内義隆と正室、側室(大円宗岳の母)の供養塔。義隆の墓が中央のなのは分かるが左右のどちらが正室と側室なのかは不明)
大内義隆と正室、側室(大円宗岳の母)の供養塔

(歴代住職の墓。この中に大円宗岳の墓があるのだろう。新しい祠は光雲寺の檀家さんが建てたのだろうか)
歴代住職の墓

(古い祠)
古い祠

(墓地の全景)
墓地の全景

参考文献:むつみ村史、山口県の地名

感想:島根県益田市から嘉年城に向かう途中、看板があったので参拝しました。
 大内義隆の供養塔や墓が各地にあることから大内氏が崇敬を受けていたのが伺えます。



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