毛利元政の墓、宍戸家墓所(周南市広末地区)

●毛利元政の墓、宍戸家墓所
住所:山口県周南市小松原
駐車場:なし

 毛利元就の七男・元政は関ヶ原の戦い後に当地を与えられ、慶長14(1609)年に亡くなり葬られた。その後の寛永2(1625)年に領地替えで宍戸広匡が領主となり明治維新まで治めている。そのため当地には広匡の父・元続(初代の扱いとなっている)から四代までの墓が建つ。五~十代は近隣にある宍戸家の菩提寺・貞昌寺にある。

(入口)
入口

(宍戸家墓所)
宍戸家墓所

宍戸家墓所

(宍戸家の家臣・末兼家墓所)
末兼家墓所

(墓に行く道に倒木があり進むのに苦労した)
倒木

(向かって左が毛利元政の墓。右は元政の子・元倶の妻の母である宍戸元続の妻の墓である(ややこしい)。宍戸元続の妻は織田信長の娘説があるが否定説が有力らしい)
毛利元政の墓

(宍戸家墓所と元政の墓の南東にあった住宅。寺だったように見えるので両家と関係のある寺だったのではないかと思い撮影した)
住宅

住宅

感想:宍戸家墓所は木々に覆われ薄暗く熊が出るのではないかと不安になりました。



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