大雲山日頼寺(毛利元就の菩提所)

●大雲山日頼寺
住所:山口県下関市長府侍町1-10-1
駐車場:あり

 臨済宗。元は貞和4(正平3、1348)年に瑞雲が開いた天台宗の小比叡山極楽寺だったという。中世に毛利氏が長門を支配した時代には54石の寺領があった。慶長年間(1596~1615年)、長府藩の初代藩主・毛利秀元が仏智大照を東福寺から迎えて臨済宗に改宗し、祖父・毛利元就(法号・日頼洞春大居士)の菩提所とし日頼寺と改称する(改称は天正年間説あり)。
 長府藩の3代藩主・綱元は延宝3(1675)年に客殿を建立し、宝永元(1704)年には鐘楼堂を建立した。明治2(1869)年に廃寺となったが明治4(1871)年に大雲山極楽寺として再興し、明治22(1889)には日頼寺に復している。寺宝として足利尊氏・大内盛見・毛利(穂田)元清などの文書や元就の遺品(日頼寺文書附毛利元就遺品。下関市指定有形文化財)がある。

(山門)
山門

(参道)
参道

(本堂)
本堂

(小比叡山 鎮守 山王社。かつて境内に鎮守社の小比叡(こびえ)社があり長門の得善保(周南市)に社領があった。大内義弘が応永6(1399)年に出した極楽寺に社領の管理などに関する文書が残っている)
小比叡山 鎮守 山王社

(日頼寺から長府の街並みと瀬戸内海を望む。中央の島は干珠島で壇ノ浦の戦いでは源氏が本陣を構えたらしい)
長府の街並みと瀬戸内海

参考文献:山口県の地名、下関市史 原始-中世、下関市史 藩制-明治前期、山口県風土誌 第9巻、現地の案内板

感想:境内(?)に仲哀天皇殯斂地なるものがあったそうですが、現地の案内板を斜め読みしただけで気が付かなかったので行ってません。