高野山奥之院の五輪塔1 立花宗茂の墓(供養塔)

●立花宗茂の墓(供養塔)
住所:和歌山県伊都郡高野町高野山(字 奥ノ院(原文ママ))
駐車場:入口にあり

 高野山での菩提寺は大圓院。立花宗茂(永禄10(1567)年~寛永19(1643)年)は高橋紹運の長男として生まれ立花道雪の婿養子となる。豊後の大友氏に仕え、のちに独立し筑後柳川の大名となった。関ヶ原の戦いで西軍についたため改易されるが、その後旧領の筑後柳川の大名として返り咲く。
 五輪塔は宗茂の養子で柳川藩二代目の立花忠茂が建立した。

地輪の正面には

筑之後州柳川城主前飛州
太守従四位源宗茂公追薦也
       奉爲大圓院殿
(梵字ア)  松隠宗茂大居士
       成三菩提也
嗣子立花左近将監従四位下
源忠茂朝臣   建立也

と刻まれている。
俗名の宗茂が刻んであるのは有名なため変えることが出来なかったからだという。

立花宗茂の墓

立花宗茂の墓

立花宗茂の墓

参考文献:戦国武将と高野山奥之院: 石塔の銘文を読む広報高野 令和5年9月号

感想:ここからずっと奥之院にある戦国武将の墓を参拝することになりました。