高野山奥之院の宝篋印塔1 香宗我部親泰の墓(供養塔)

●高野山奥之院の宝篋印塔1 香宗我部親泰の墓(供養塔)
住所:和歌山県伊都郡高野町高野山(字 奥ノ院(原文ママ))
駐車場:入口にあり

 高野山での菩提寺は高室院。香宗我部親泰(天文3(1543)年~文禄2(1593)年は長宗我部国親の三男で長宗我部元親の弟。香宗我部親秀の養子となり香宗我部姓を名乗る。兄・元親の土佐統一、四国平定戦で活躍した。

宝篋印塔の正面
文禄二年癸巳
為明彭孤仙大禅定門
十二月廿一日

向かって右
左近大夫親泰

向かって左
土州香宗我部

(伊勢津藤堂家墓所に建つ。向かって右から二番目の宝篋印塔が親泰のものである)
香宗我部親泰の墓

香宗我部親泰の墓

参考文献:『長宗我部盛親 土佐武士の名誉と意地』図録、高野山金剛三昧院所蔵『土佐香宗我部氏過去帳』

感想:場所を覚えていないのでGoogleMAPの印は藤堂家の墓所の位置をネットの情報を推測してマーカーを設置しました。現地に行けば分かるはずなので当てにしないで下さい。
 過去帳には「土州香宗我部親泰於高麗御死去也」とありますが、朝鮮半島に渡る前に長門で死去しています。