香宗我部親泰(1543〜1593年)

官位・通称:安芸守・左近大夫
 長宗我部元親の弟。長宗我部国親の三男。1558年(1546年とも)、香宗我部親秀の養子となり香宗我部家の家督を継ぐ。1569年、安芸国虎が滅ぶと土佐安芸城主となり安芸守を名乗る。
 1575年、海部氏が敗走すると阿波海部城を預かり、阿波沿岸部の攻略を担当。中富川の戦いで功を立てる。四国統一戦では外交も担当。柴田勝家・徳川家康と交渉し、豊臣秀吉に対抗している。
 1592年、元親が朝鮮に出兵すると土佐の留守を預かっている。1593年12月21日、朝鮮へ向かう途中に長門で病死。

高知県香南市野市町の宝鏡寺跡にある親泰の墓
親泰の墓
UPDATE 2011年4月15日
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