武田高信の妻の墓(若宮さん)

●武田高信の妻の墓(若宮さん)
住所:鳥取県鳥取市有富
駐車場:なし

 天正4(1576)年、山名豊国によって武田高信が誅されると高信の妻は松上神社の神主を頼るため高草郡荒神谷村(鳥取市有富)まで逃げ延び村人の倉庫に隠れた。しかし村人達は話し合いの結果、後難を恐れて妻の命乞いも聞かず殺害し衣服を剥ぎ取って埋めている。その際、妻は死に際に恨みの言葉を残した。
「この恨み長くお前達の子孫に祟り貧窮させ、倉庫を建てる者がいたら焼き殺す」
 それから里に怪奇現象が起きたため埋めた場所で供養を行い、のちに祝い若宮として崇めている。若宮とは激しく祟る無縁の霊を斎(いわ)い込めるために、大きな神格の支配下において祀り始めたもので、『民俗学辞典』によると供養祭を怠ると直ちに祟ることがあるという。

(入口)
入口

(若宮さん。手前にある「秀忠 勝之進之霊位」は昭和時代に建てられたもの。後ろの地蔵が供養を行った際に建てられたもののようで、その時は多数の卒塔婆が建てられたことから当地は卒塔婆谷と呼ばれるようになったという)
若宮さん

参考文献:鳥取県の地名、千代水村誌、日本民俗学辞典 [本編]、鳥取県史 第2巻 (中世)、因幡誌 卷四

感想:荒神谷村は祟りを恐れて近世初期まで倉庫を建てなかったそうですが、因幡志が書かれた寛政年間(1789~1801年)頃には既にその風習はなく村に倉庫が建てられていたそうです。
 現地の方に場所を尋ねた際「竹野…信高…だっけ?」みたいなことを言われました。一部の方を除いて若宮さんが忘れられているようなので、再び祟りが起きないか心配です。