●長綱寺
住所:鳥取県西伯郡大山町名和69-1
駐車場:あり
山号は万歳(ばんぜい)山。曹洞宗。元徳2(1330)年、名和長年が天台宗として現在の裏山の万歳山中腹に創建したと伝わる。最初は長高庵という名であったが足利尊氏(高氏)の天下になったことから、「高」の字を遠慮して長年の父の名である長綱に寺号を変えたというが(もしくは長年(長高)との関係を隠すため変えたという説もある)、最初から長年が父の菩提寺の長綱庵として創建したものの後になってこのような逸話が作られた可能性がある。
文明11(1479)年に焼失したため、同じ大山町にある曹洞宗の古刹・退休寺の僧の達恵道光を住職として現在地に再建し曹洞宗に改宗した。この時、長綱庵から長綱寺に改号している。
本尊は長年の念持仏だったと伝わる阿弥陀三尊で、名和長年とその息子ら、そして後醍醐天皇の位牌を安置している。
(硯岩。当地の東谷地区の山中にあり後醍醐天皇が休んだ岩と伝わる。いつの頃からか行方知れずになったが、昭和30年代に長綱寺の住職に夢のお告げがあり米子市皆生で見つかった。そして平成22年にここに持ち帰っている)
(大山町指定文化財の名和公一族郎党の墓。昭和5(1930)年、山林開発の際に発見された約300基の五輪塔である。鎌倉の北条氏の残党や室町幕府の者に荒らされるのを恐れて埋めたという。大山町鈑戸の王身代(おおしんだい、後醍醐天皇の身代わりとなったことから付いた姓だという)家の記録では長年らが船上山に向かった際に名和館を守って亡くなった女性らの墓とのこと)
感想:約300基の五輪塔は一見の価値ありです。