阿波木津城(篠原自遁と東条関之兵衛の居城。四国攻めの舞台)

●阿波木津城
住所:徳島県鳴門市撫養町木津(字城山)
駐車場:公園の駐車場を利用
遺構:曲輪、土塁、竪堀、横堀
標高:62メートル/比高:53メートル

 南側は断崖となっており北には城の防御のため流れを変えた中山谷川がある。東の孫右エ門山(字名として残る)と西の小山の間に空堀があった。そして中心部には二つの曲輪があったが、昭和33(1958)年の上水道配水池や採土で遺構は大きく損なわれている。
 築城年代は不明だが城主は阿波三好氏の重臣・篠原自遁で長宗我部元親の阿波侵攻に抵抗した。だが天正10(1582)年の中富川の戦いで元親が阿波の大半を手中に納めると阿波に逃亡している。その後、桑野城主・東条関之兵衛が城主になり、天正13(1585)年の豊臣秀長の四国攻めで激しく抵抗したが、水の手を断たれ開城した。その後は廃城になったようである。

(山の中央は木津山公園として整備されており遺構はない)
木津山公園

(東側に残る竪堀)
竪堀

竪堀

(竪堀を上った先にある土塁と横堀)
土塁と横堀

土塁と横堀

(主郭らしいがひどい藪で見学は不可能だった)
主郭

参考文献:徳島県の地名、日本城郭大系15、三好一族と阿波の城館

感想:公園からは登るのが難しくネットで検索したら城郭放浪記さんのサイトに登り口が記載してあって、そこから登りました。


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