隠岐高尾城(那久城。斎藤氏の居城)

●隠岐高尾城
住所:島根県隠岐郡隠岐の島町那久
標高:138メートル/比高:121メートル

 別名・那久城。斎藤氏の居城だった。

(入口からしばらくは伐採してあり道が整備されていた)
入口

(東の曲輪群)
東の曲輪群

東の曲輪群

東の曲輪群

東の曲輪群

(東から西の主郭までは細い尾根が延々と続く。南の海側は崖(通称は「城の腰(じょうのこし)」)で落ちたら死ぬが北の斜面は大怪我で済むので、なるべく北側を歩いた。しかし北側は生垣のようにツゲみたいなのが生えていて、どうしても南側を歩かないと行けない箇所もあって危険この上なかった)
細い尾根

細い尾根

細い尾根

細い尾根

(南側の海を望む。遠くに見えるのは島前か? 眼下に見える入り江は東の曲輪群から降りられたようなので昔は港があったのかもしれない)
南側の海

南側の海

(尾根と主郭の間にある堀切)
堀切

堀切

(主郭の櫓台)
櫓台

(主郭と周辺の帯曲輪)
主郭と周辺の帯曲輪

主郭と周辺の帯曲輪

主郭と周辺の帯曲輪

主郭と周辺の帯曲輪

主郭と周辺の帯曲輪

主郭と周辺の帯曲輪

主郭と周辺の帯曲輪

(絶対に尾根を戻りたくなかったので上記の堀切の辺りから北に降る。こちらにも道があるのを聞いていたが、麓以外は道が分からなかった。一回だけ転けたけど無事に降ると殿屋敷と呼ばれていた斎藤氏の屋敷跡に出る。字名が「とふじり」なのだが屋敷跡を示す言葉が訛ったのだろうか。2枚目の写真の奥の山が高尾城)
屋敷跡

屋敷跡

感想:東の曲輪群が出城で西が主郭らしい。南の海から来た敵を東西から攻撃するのだろうか。西の主郭だけで城としては成立している気がするが・・・。
 歴史についての詳しいことは『山陰の戦国史跡を歩く 島根編』を参考にしてください。

(縄張図)
縄張図



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