隠岐国分寺(後醍醐天皇の御在所)

●隠岐国分寺
住所:島根県隠岐郡隠岐の島町池田風呂前5
駐車場:あり

 山号は禅尾山。真言宗。天平13(741)年、聖武天皇の詔で全国に建てられた国分寺の一つだった。当時の正式名称は金光院四天王護国之寺。10世紀以降、同様に建てられた国分尼寺は衰退するが、当寺は国衙(国司の役所。また、国司の治める地域)に関連した寺として存続する。元弘2(1332)年、元弘の変に敗れた後醍醐天皇が配流され当寺が御在所だったとされるが西ノ島町の黒木御所説もあり確定していない。
 康正3(1457)年、隠岐の守護・京極持清は末寺も含めた寺領に対して段銭(臨時の課税)を免除した。永正11(1514)年、隠岐の守護代・隠岐氏が檀那となり再建されている。戦国時代以降は衰退し近世には寺領が僅か5石だった。明治維新後、隠岐は全国の中でも廃仏毀釈運動が激しく明治初年に当寺も廃寺となるが、明治12(1879)年に再建される。平成19(2007)年、本堂が焼失するが平成27(2015)年に再建された。
 毎年4月21日に行われる隠岐国分寺蓮華会舞は国指定重要無形民俗文化財である。境内も国史跡として指定されている。

(参道)
参道

(山門)
山門

(平成19(2007)年の焼失直後の本堂と再建後の本堂)
本堂

本堂

(延命地蔵)
延命地蔵

(廃仏毀釈の際に隠岐郡内で破壊された石仏群を集めた悲しみの石仏)
悲しみの石仏

(後醍醐天皇御在所阯)
後醍醐天皇御在所阯

後醍醐天皇御在所阯

(史跡「隠岐国分寺境内」。現在の何倍もの規模を誇っていた)
隠岐国分寺境内

隠岐国分寺境内

感想:隠岐の史跡について質問した教育委員会の方と駐車場でばったりと出会って挨拶をしたのが印象に残っています。



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