向横田城(首片木城・首旁之城・頸ヶ滝城)
住所:島根県益田市向横田
駐車場:有り
遺構:曲輪・堀切・土塁
標高:90メートル/比高:70メートル
文治元(1185)年に地頭として当地に来た石川頼恒が築城したという。高津川と匹見川の合流地点にある要衝で、北側には横田平野が広がり中世には市もあった。別称に首が付くのは横田平野を喉部にあたることからであろう。承久3(1221)年の承久の乱の戦功で吉見義世が鹿足郡を与えられると横田氏を代官として派遣し、当城に入って石川氏の娘を妻にしたと伝わる。横田氏がのちに能美山城に移ると領家氏が入った。
文明3(1471)年、領家氏が大内道頓の反乱に加担したため益田貞兼に攻められ降伏。大嶽城に移って、文明10(1478)年に益田氏の家臣の城市正雄が改築し居城としたという。天文20(1551)年の正雄死後も一族の者が領していたようだが、天正5(1577)年に移封されたため廃城になったようである。
城名は石川氏(横田氏)は首旁之城、領家氏は首片木城、城市氏は頸ヶ滝城と称していたという。明治38(1905)年、日露戦争に参加した兵のために忠魂碑を建立したことから忠魂山と呼ばれるようになった。
城は南の主要部分と北の出丸に分かれており、その二つの間を尾根が通っている。
(写真では分からないが上記の土塁の先にある巨大な堀切。尾根との間を分断している。危険だったので降りなかった)
(東西の曲輪の間の尾根下に立つ愛宕神社。大正までは出丸にあったが移された。領家公恒などを祀っている)
感想:たまたま行った日が地元の方の大規模な草刈りの日で駐車場に駐めるのに難儀しました。普段は八台くらい駐められます。
ネットで検索すると主要部分の北側の堀切は尾根から南に行けば容易に見られたようです。残念。