板井川要害(三隅氏の城)

●板井川要害(板井川城・登代城・戸城・戸代城)
住所:島根県益田市美都町板井川
駐車場:なし(近くに双川峡の駐車場があるが駐車の可否は不明)
遺構:曲輪、堀切、竪堀、横堀
標高:290メートル/比高:30メートル

 益田市指定文化財。三隅川の支流・板井川沿いにあり、安芸方面に抜ける道を抑える位置にある。城域は北から南にかけて約200メートルあり曲輪と堀切が続いている。
 築城年代は不明だが三隅氏が築城したと伝わり、暦応4(興国2、1341)年に益田氏に従う安富教元が当城を落とした。戦国時代になると当地区を含む丸毛郷などを巡って三隅氏と益田氏が争ったことから度々領主が変わった。
 天文24(1555)年、益田氏が陶晴賢の力を背景に三隅領の沿岸部を占拠すると三隅氏は内陸部へ追いやられる。数年後、これに対して三隅氏は尼子氏に内通した。理由は弘治3(1557)年に益田氏が尼子氏に敵対する毛利氏に降っていたためである。しかし内通が露呈。永禄4(1561)年、益田氏に当城を攻められ翌年には落とされている(「益田家文書」「小原文書」)。
 「赤雁斎藤家系図」には、戦国時代に斎藤信貞が功を立て三隅興信から当地区を与えられ築城。元亀年間、三隅隆繁が尼子再興軍に呼応し毛利氏に反旗を翻すと信貞の息子・信周もこれに従った。しかし宇津川城主・小原修理大夫に攻められて敗死。信周の子・信城は益田氏に仕えたとある。

(東から見た板井川要害。東西は急斜面になっている。矢印の場所から登る)
全景

(登り口近くにある石号の里。ここで柴犬のルーツとなる石州犬が生まれたらしい)
石号の里

(少し登ると城域に到着。ここからひたすら北に向かう)
城域

(南端の曲輪(尾根?))
曲輪

(やがて広めの曲輪に出る)
曲輪

(堀切)
堀切

(堀切その2)
堀切

(投石用の石らしい)
投石用の石

(再び曲輪。こんな感じで曲輪と堀切が続く。載せなかったが、この間にも曲輪がいくつかあった)
曲輪

(横堀)
横堀

(主郭? この辺りで道が危険になってきたので引き返した)
主郭

感想:前は保存会によって整備されていたそうです。今も状態が良いことから自治体や自治会が整備をしているのかしれません。
 竪堀があったようですが分かりませんでした。





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