●備前亀山城
住所:岡山県岡山市東区沼
駐車場:なし
遺構:曲輪、土塁、切岸
標高:23メートル/比高:18メートル
別名・沼城。沼地に囲まれた弁天山とその西の小丘(西の丸)から構成されている。天文年間(1532~55)、中山信正が築城したと伝わる。永禄2(1559)年、宇喜多直家が信正を謀殺し城を奪って居城にしたという。以降、直家は勢力を広げ天正元(1573)年には居城を岡山城に移し、その後は弟・春家が居城とした。天正10(1582)年、本能寺の変を知った羽柴秀吉は毛利氏と和睦し備中高松城を去った後、当城に移動したと伝わる。慶長5(1600)年の関ヶ原の戦いで宇喜多家が改易になり小早川秀秋が備前を支配すると廃城となり、天守は岡山城の大納戸櫓として移築された。
(城址に弁財天神社(宗形神社)があり境内が整備されていることから見学しやすい)
(宇喜多秀家と豪姫の顔ハメパネルがあるのは生まれた年に直家がここを居城としていたからだろう。宇喜多氏については知識がないが明確にここで生まれたという記録があるのだろうか)
(関ヶ原の戦いで敗れ八丈島に流された秀家の住居跡にあった手植えの蘇鉄の株分けをして植えたもの)
(西の丸。浮田小学校内にあるため念の為、事前に学校の許可を取ってから入った)
感想:別名の沼城の名前の通り当時は周りが湿地帯で低山ながら非常に攻めづらい城だったと思われます。私は城に詳しくないので本丸らと西の丸がどうやって連携を取っていたのかが気になりました。