備中高屋城(藤井能登守皓玄の城)

●備中高屋城
住所:岡山県井原市高屋町
駐車場:なし
遺構:曲輪、土塁、堀切、土橋、畦状竪堀群
標高:271メートル/比高:213メートル

 東以外の三方が急峻な崖となっており、東のみ尾根続きになっている。備後神辺城主・山名氏の家老だった藤井能登守皓玄(こうげん)の城だった。天文18(1549)年、神辺城は毛利元就によって落とされるが、永禄12(1569)年に大友宗麟や尼子再興軍らの第一次毛利包囲網に呼応して皓玄が毛利輝元と敵対し神辺城を奪取する。しかし九州から戻ってきた毛利軍に神辺城を奪い返され、皓玄の息子・広吉が守備していた高屋城も落とされた。皓玄も御嶽山(笠岡市)の麓で戦死している。その後、毛利軍が駐屯した。

(南側から見た全景。ここから登った)
全景

(中腹。写真では分からないが、かなり急坂)
中腹

(東側の尾根を断ち切るために築かれた5条の堀切と土塁、土橋。大規模なため毛利軍が造築したと考えられている。堀切はそのまま竪堀となる)
堀切

堀切

堀切

堀切

堀切

堀切

堀切

堀切

堀切

(Ⅰの腰曲輪と畦状竪堀群)
腰曲輪と畦状竪堀群

腰曲輪と畦状竪堀群

腰曲輪と畦状竪堀群

腰曲輪と畦状竪堀群

腰曲輪と畦状竪堀群

腰曲輪と畦状竪堀群

腰曲輪と畦状竪堀群

(Ⅱの曲輪群)
Ⅱの曲輪群

Ⅱの曲輪群

Ⅱの曲輪群

(Ⅲの曲輪。主郭だと思われる)
Ⅲの曲輪

Ⅲの曲輪

(Ⅳの曲輪群)
Ⅳの曲輪群

Ⅳの曲輪群

Ⅳの曲輪群

参考文献:岡山県中世城館跡総合調査報告書 第2冊 備中編、岡山県古代吉備文化財センター、井原の山城を歩く、岡山県の地名

感想:南から登って西に降りていますが、南は道が無くなっており直登になってしまい帰りの北から西に回るルートも谷に降りる道が無くなっていて大変苦労しました。
 北から時間をかけて往復するのが通常のコースらしいので、他のサイトを参考にしてください。ちなみに大変さを無視すれば南の往復が距離、時間ともに一番短いです。

(縄張図)
縄張図


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