土佐佐川城(久武氏の居城)

●土佐佐川城
住所:高知県高岡郡佐川町甲(字奥ノ土居)
駐車場:観光用駐車場あり
遺構:曲輪、畦状竪堀群、堀切、土塁、石垣
標高:200メートル/比高:120メートル

 土佐と伊予を往来する街道に位置する。元亀2(1571)年頃、長宗我部元親が高岡郡に侵攻してきた際に築城されたと言われるが、それ以前から存在し北東に位置する松尾城と合わせて街道を押さえていたようである。元親は重臣の久武親信を当城に配置し、親信戦死後は弟の親直が城主となった。
 慶長5(1600)年の関ヶ原の戦い後、山内氏が土佐を支配すると家臣の深尾氏が入る。元和元(1615)年、一国一城令で廃城となり深尾氏が麓の佐川土居に移った。現在は城の北側が牧野公園として整備されている。

(牧野公園の北側。城址で曲輪や竪堀があるらしいが縄張図を見ても遺構か後世の改変なのか分からなかった)
牧野公園

牧野公園

牧野公園

牧野公園

(竪堀。ここは分かりやすかった。案内板もあったし)
竪堀

(公園西側の曲輪。三方が高台で圧迫感がある)
公園西側

公園西側

公園西側

公園西側

公園西側

公園西側

(公園から市街地を望む)
市街地

(公園の南にある曲輪。物見岩や碑があった)
公園の南

公園の南

公園の南

(公園の東側にも遺構があるが、猪対策で柵があり立ち入り禁止になっている)
公園の東側

(公園の南側にある山城として残っている箇所への入口。害獣対策で入城中の札にして入る門がある。意地悪な人がいて入城中の札なのに外からかんぬきを差し通されたらどうしようかと思った)
入口

(門から登って直ぐの場所にある曲輪。下の縄張図だとⅠの付近)
Ⅰ

(縄張図のⅡの曲輪)
Ⅱの曲輪

Ⅱの曲輪

Ⅱの曲輪

Ⅱの曲輪

(縄張図のⅢの曲輪。ⅡとⅢとの間の堀切に土橋(石橋?)っぽい石塁があるが、横から見ると渡れるようには見えない。何のためにあるのだろうか)
Ⅲの曲輪

Ⅲの曲輪

Ⅲの曲輪

Ⅲの曲輪

(縄張図のⅢとⅣを繋ぐ尾根とⅣの曲輪)
Ⅳの曲輪

Ⅳの曲輪

Ⅳの曲輪

Ⅳの曲輪

Ⅳの曲輪

(西に戻って縄張図のⅤの曲輪)
Ⅴの曲輪

Ⅴの曲輪

Ⅴの曲輪

(縄張図のⅥの曲輪群。ここが主郭になるようだ。ⅤとⅥの間には堀切があった)
Ⅵの曲輪群

Ⅵの曲輪群

Ⅵの曲輪群

Ⅵの曲輪群

Ⅵの曲輪群

Ⅵの曲輪群

Ⅵの曲輪群

参考文献:土佐の山城、高知県の地名、現地の案内板

感想:松尾城で体力を奪われたまま行ったので主郭の先の曲輪群まで行く気力がなく引き返しました。出丸には畦状竪堀群があったようです。あと石垣も見逃しました。

(現地にあった縄張図)
縄張図