●土佐松尾城
住所:高知県高岡郡佐川町甲
駐車場:駐車スペースあり
遺構:曲輪、畦状竪堀群、連続堀切
標高:199メートル/比高:85メートル
南北朝時代に南朝方の佐川四郎左衛門が居城していたが、興国元(暦応3、1340)年と翌年に北朝方の津野氏、三宮氏らとの戦いに敗れ城から脱出した(松尾城は支城で戦いは本城の佐川城であったともいわれる)。その後、津野氏の縁者で佐川氏と同族の中村氏(佐川越中守)が城主となる。
永禄12(1569)年9月、長宗我部元親が高岡郡に侵攻してくると近郷の三宮氏、片岡氏、黒岩氏、近沢氏、米森氏らが松尾城に集まって対応を話し合い、米森氏以外は降伏を決め元親に人質を差し出した。そして松尾城主・佐川信義は久万田(佐川町甲字久万田)に隠居し元親の重臣・久武親直が信義の養子となって城主になったという(親直は佐川城主で松尾城には信義の長男・彦一郎が城主になったとも)。
(南の曲輪群の西にある曲輪。物見岩と呼ばれる大きな岩があった)
(戻って今度は主郭の北西にある曲輪群と堀切(から派生する竪堀))
(上記の曲輪の北端まで行き西に行くと、ここにも物見岩と呼ばれる巨大な岩がある)
参考文献:土佐の山城、土佐名家系譜、佐川郷史
感想:規模が大きくて途中でヘトヘトになりました。特に連続堀切の上り下りは足にきました。
地元の方の情報によると2023年3月まで登山口が崖崩れ対策の工事のため城には登れない状態だそうです。