●備後 阿草城(高尾城)
住所:広島県尾道市高須町
駐車場:なし
遺構:曲輪、土塁、竪堀、土橋
標高:160メートル/比高:82メートル
築城年代は不明。島根県出雲市古志町を本拠としていた出雲古志氏の一族が永正年間(1504~1521年)の尼子氏の備後攻めの際、先陣として本郷城(広島県福山市本郷町)に入った。そして阿草城に古志三郎左衛門景勝を置く。やがて大内氏が備後に勢力を伸ばすと景勝は傘下となり、天文3(1534)年、大内氏に従う毛利元就が亀寿山城(福山市宮市町)を落とすとそちらに移った。
天正2(1574)年、景勝は毛利氏に従って備中国吉城攻めで戦死し、景勝の息子・兵部少輔は毛利氏を離れ尼子再興軍に加わったが、天正6(1578)年に播磨上月城で戦死している。
参考文献:広島県の地名、広島の中世城館を歩く、備陽史研究『山城志』第22集、松永市本郷町誌
感想:広島県の中でも畦状竪堀群が多い城の一つだそうです。畦状竪堀群で移動に苦労したせいで疲れてしまい北西の遺構を見るのを忘れました。
上記での城の歴史ですが古志氏の伝承については諸説あって分からないそうです。広島県の地名には松江市古志町の古志氏とありましたが、それは流石にただの間違いかと・・・。