菩提所観音寺跡(熊谷氏の菩提寺跡)

●菩提所観音寺跡
住所:広島県広島市安佐北区三入
駐車場:不明

 広島県指定史跡。三入庄(現在の安佐北区三入、同区大林、同区大林、可部町上町屋など)の地頭・熊谷氏の菩提寺跡で、創建年代は不明だが正法山観音寺と称していた。天文10(1541)年8月から翌年6月まで大内義隆が尼子晴久に味方する勢力に対抗するため本陣を構えている(『房顕覚書』)。
 天正19(1591)年に熊谷氏が広島城下に移った上、慶長5(1600)年に主君の毛利氏が防長の減封され熊谷氏も従ったため衰微。その後も熊谷氏は家臣を墓参にさせていたようだが、文政8(1825)年に編纂された『芸藩通志』には現在と同じ状況になっていることが記載されている。
 境内の大半が畑になっているが石垣が残っている。

(見事な石垣)
石垣

(入口。この辺りに山門があったのだろうか)
入口

(現存の観音堂。如意輪観音像と熊谷氏の家紋が入った須弥壇(しゅみだん。仏像を安置する台)が安置してある)
観音堂

(清泉の井戸。永正14(1517)年の有田合戦で毛利元就によって射殺された熊谷元直の腕を洗い清めたという伝承が残っている。敗戦だったので腕だけを家臣が辛うじて持って帰ったのだろうか)
清泉の井戸

(熊谷氏菩提墓所。熊谷元直の息子・信直の墓もある。信直は毛利元就に仕え娘が吉川元春の妻であることは良く知られている)
熊谷氏菩提墓所

参考文献:広島県の地名、可部町史

感想:道を間違えて庭の狭い民家に入ってしまいJAFに電話をして提携先の方に出してもらいました。その後、その方が「観音寺跡は知っているけど行ったことがないから行きたい」と言われるので、何故か一緒に見学しました。



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