備中 黒金山城(三村氏の城)

●備中 黒金山城
住所:岡山県井原市美星町星田
駐車場:なし
遺構:曲輪、土塁、堀切、竪堀
標高:372メートル/比高:74メートル

 詳細は不明だが美星町星田の蔵光地区にいた三村氏が築いたと伝わる。元亀2(1571)年、毛利氏が備前・備中に進出の際に北西の美星町三山を前線基地としており、黒金山城も利用された可能性がある。天正2(1574)年、三村元親が毛利氏から離反すると三村為親の守る黒金山城も小早川隆景に攻められ落城したという。

(入口)
入口

(曲輪Ⅴ。場所は下の縄張図を参照)
曲輪Ⅴ

曲輪Ⅴ

(曲輪Ⅲ)
曲輪Ⅲ

曲輪Ⅲ

曲輪Ⅲ

曲輪Ⅲ

(曲輪Ⅱ)
曲輪Ⅱ

曲輪Ⅱ

(曲輪Ⅰ。北の端には諏訪神社の社日塔があり、北から東にかけて土塁があった)
曲輪Ⅰ

曲輪Ⅰ

曲輪Ⅰ

曲輪Ⅰ

(曲輪Ⅰの北にある堀切群)
堀切群

堀切群

堀切群

堀切群

堀切群

堀切群

(堀切を抜けると尾根が続く)
尾根

(城域の西にある登山道沿いには竪堀がある。堀切が竪堀になったものもあって堀切から直接降りて帰ろうと思ったが危険なので止めた)
竪堀

竪堀

参考文献:岡山県中世城館跡総合調査報告書 第1冊 備前編、岡山県の地名、井原の山城を歩く、現地の案内板

感想:携帯が繋がりづらい山の中で「熊に襲われたら助けも呼べないな」と心配しながら城を回っていました。城や登山道は整備されており見学しやすいです。
 『美星町史通説編』には城の北隣で中国の古銭が約360枚発見されたという記載があるそうで、ある程度、力を持った勢力が城主をしていたようです。

(縄張図。クリックすると別タブが開きます)
縄張図


掲載の縄張図について


如意山観泉寺(山中鹿介幸盛の胴塚)

●如意山観泉寺(山中鹿介幸盛の胴塚)
住所:岡山県高梁市落合町阿部1979
駐車場:あり

 曹洞宗。高梁市落合町原田の深耕寺の末寺。本尊は観世音菩薩と釈迦如来。永正元(1504)年、深耕寺の章厳を回忌として地元の武士・武地宗光が創建した。明治4(1871)年に焼失したが檀家などによって再建される。明治43(1910)年に同地区の大雲寺釈迦堂を合併した。昭和55(1980)年に改築している。
 天正6(1578)年、山中鹿介幸盛阿井の渡しで毛利氏によって殺されると、観泉寺の当時の住職・珊牛(さんぎゅう)が引導を渡して石田畑(赤羽根地区)に胴体を葬った。観泉寺には位牌があり表には「幸盛院殿鹿山中的居士霊位」、裏には「尼子右衛門尉晴久公之賢臣山中鹿之助幸盛者於当村心安泉下(後略)」とある。

(全景。手前が駐車場)
全景

(多分、六地蔵)
六地蔵

(山門)
山門

(鐘楼)
鐘楼

(本堂)
本堂

(山中鹿介幸盛の胴塚。何時の頃か不明だが、この辺りを開墾した際に首のない遺骨の入った石棺が出たため、これは鹿介に違いないということで遺骨を掘り出して当地に埋葬し直した。そして明治35(1902)年に岡山市在住の村本三十郎が胴塚の碑を建てている)
山中鹿介幸盛の胴塚

山中鹿介幸盛の胴塚

山中鹿介幸盛の胴塚

(文政年間(1818~30年)に江戸の大相撲の力士だった金剛力熊ヶ嶽の墓)
金剛力熊ヶ嶽の墓

参考文献:曹洞宗公式 寺院ポータルサイト(https://sotozen-navi.com/detail/index_330059.html)、川上郡誌

感想:ということで実は胴塚に埋まっている遺体が鹿介なのかは定かではないです。この付近には赤羽根イナリ古墳があり、石棺や人骨も出ているということから遺骨は古代人ではないかと個人的に思っています。
 石田畑に葬った話が本当かどうかまでは分かりませんでした。



山中鹿介幸盛の墓(阿井の渡し)

●山中鹿介幸盛の墓(阿井の渡し)
住所:岡山県高梁市落合町阿部
駐車場:なし

 阿井の渡しは高梁市落合町阿部と高梁市玉川町下切の間に流れる成羽川を渡るため運行されていた渡し船のあった場所である。天正6(1578)年、播磨上月城で毛利軍に降伏し捕まった山中鹿介幸盛は毛利輝元の本陣のあった備中松山城に護送されていた。しかし同年7月10日、阿井の渡しで毛利氏の恭順の意を疑われ天野元明が家臣に命じて殺害させている。
 遺体は観泉寺の住職によって葬られ討ち死にした場所には目印として榎が植えられ根元には供養塔として五輪塔を建てた。だが洪水によって流出したため、正徳3(1713)年10月に備中松山藩士の前田時棟と足軽・佐々木郡六が現在の墓(供養塔)を建てている。墓の裏には「尼子十勇 儕輩絶倫 不得伸志 無遭于時 忠肝義膽 爰樹爰封 殊勲偉績 千載流芳 前田時棟 謹銘」と刻んである。基礎の石は明治16(1883)年に地元の有志が建立したもの。

(全体)
全体

(写真では分からないが墓は2メートル以上ある)
墓

(裏の文字は読みづらくなっている)
文字

(横にあった碑は読む限りでは四百回忌のもののようだ)
四百回忌

(墓の南を流れる高梁川を撮影したが、参考文献を読むと阿井の渡しはもう少し西(写真だと中央の山の麓辺り)に思える)
高梁川

参考文献:岡山県の歴史、岡山県地理、雲陽軍実記、川上郡誌、山中鹿之助、高梁市公式サイト高梁市観光ガイド、現地の案内板

感想:駐車場はないですが、墓の前に駐車スペースはあります。ただし駐めていいのかは不明です。