●瑞応山長厳寺
住所:島根県雲南市三刀屋町伊萱469(字 割田)
駐車場:不明
臨済宗。本尊は聖観音菩薩像で、行基の作と伝えられている。嘉暦年間(1326~1329年)、楠木刑部輔正清と名和長年が協力し、隠岐に流されていた後醍醐天皇を迎えるため、天皇の后を奉じて挙兵を計画したが失敗に終わり、60人余りが自害した。后は尼となり、亡くなった者たちの菩提を弔ったことが寺の始まりと伝えられている。
応永24(1417)年、室町幕府将軍・足利義持が長護寺(長厳寺)を祈願寺とした。天文年間(1532~54年)、尼子氏と毛利氏の兵火により、本尊を除くすべての建物が焼失した。近世に入ると松江藩の庇護を受けて再興されたが、宝暦年間(1751~64年)の洪水で伽藍が流され、明治36(1903)年に再建された。
寺宝として、后の遺品と伝えられる青磁茶碗が残されている。また、本尊の聖観音菩薩像も后の持仏とされている。寺の南方には「醍醐塚」と呼ばれる来待石製の五輪塔が立ち、「雲陽誌」にはこれを天皇の御廟と記しているが、自害した60人余の墓の内の一人ではないかとも推測されている。
参考文献:三刀屋町誌、大日本史料データベース
感想:「楠木刑部輔正清」は恐らく楠木正成のことだと思いますし、嘉暦年間に後醍醐天皇は隠岐に流されておらず、矛盾が多いです。
南朝に味方して自害した武将の女性が当地に来て長厳寺を開基したのかもしれません。それに尾鰭がついて楠木や名和の名前が出るようになったのかも、と勝手に想像しています。
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