●播磨 上月城(荒神山上月城。七条城)
住所:兵庫県佐用郡佐用町上月(字 荒神山)
駐車場:上月歴史資料館の駐車場を利用
遺構:曲輪、堀切
標高:190メートル/比高:115メートル
正治年間(1199~1201年)、得平三郎頼景が現在の上月城の北にある大平山(たいへいざん)に築いたのが始まりだという。建武元(1334)年、頼景の後裔・景盛が上月氏を名乗り現在の荒神山に築城して移ったと推測されている。嘉吉元(1441)年、嘉吉の乱で赤松氏の領地が山名氏によって攻められると配下の上月景祐が籠もる上月城も落城。戦国時代には美作の国境近くにある要衝だったことから尼子晴久の軍勢によって落とされ、赤松氏が奪回するなど争奪戦の舞台となった。
天正5(1577)年、毛利方の赤松政範が籠もる上月城は羽柴秀吉の播磨侵攻で落城する。秀吉は毛利氏に備えるため、尼子再興軍の尼子勝久や山中鹿介らを上月城に入れたが、天正6(1578)年に毛利氏は上月城を取り返すため大軍で攻め四方の山に陣を構え包囲する。秀吉は救援に向かったが毛利軍の守りが堅く撤退。残された尼子再興軍は大将の勝久が自害し城を明け渡した。その後、佐用郡の中心が利神城に移り廃城になったという。
(下の概略図の1。北東に向かってなだらかな坂になっており曲輪らしきものがいくつかあった)
(堀切A。堀切と書いてなかったら曲輪に見えるような場所だった)
(堀切B。こちら側を尾根伝いに進み浅い谷を越えると毛利の主力がいたため備えを厳重にしていた)
(城の北西の麓にある上月城跡搦手道の入口。他の城にも行った後の下山の帰りだったので体力がなく行かなかった)
参考文献:兵庫県の地名2、兵庫県の中世城館・荘園遺跡、尼子氏の城郭と合戦、図解 近畿の城郭1
感想:駐車場完備、道や遺構は整備され標高も高くないため山城初心者の方にもお勧めの城です。ただし山なので猪や熊が出る可能性はあります。そこだけは気を付けて下さい。