●三河刈谷城
住所:愛知県刈谷市城町
駐車場:あり
遺構:曲輪、土塁、石垣、濠
標高:8メートル/比高:6メートル
西三河の西端に位置し西の境川より先は尾張だった。当時は三河湾が城の南まで入り込んでいた。天文2(1533)年、水野忠政が築城。忠政の娘は徳川家康の母として知られる於大の方である。戦国時代は水野氏、佐久間信盛が城主を務め、近世になると深溝松平氏、稲垣氏、阿部氏、本多氏、三浦氏と2万石前後の譜代が城主を務め明治維新を迎えている。
維新後、建物は破壊され、太平洋戦争中は高射砲の陣地となり荒れ果てたが、現在は亀城公園として整備され市民に親しまれている。
(大手門跡。門の場所については下にスクロールするとある刈谷城現況対象図を参照。クリックすると別のタブで拡大表示される)
(焔硝蔵跡(火薬庫のこと)。現在は豊田自動織機 情報技術研究所が建っている)
(昭和34(1959)年に東海地方などで大きな被害を出した伊勢湾台風の追憶碑)
(公園入口。この辺りに辰巳櫓があった。VRで見ようとしたがモバイルは苦手なので、どうしても見ることができず諦めた)
(公園。切岸や土塁と思われる場所もあり僅かに城の雰囲気を残していた)
(公園の北に平成31(2019)年に建てられた刈谷市歴史博物館)
感想:再訪した2023年8月は日本全国が最高気温を記録しており倒れそうなくらい暑かったです。