2014年愛媛・香川行き(2日目その4:讃岐麻城)

・讃岐麻城・・・香川県三豊市高瀬町上麻。近藤氏の城だったが、1578年に長宗我部元親によって落とされている。白地城を追い出された大西覚用が一時、この城に逃げ込んでいる。
 ここはとにかく場所が分からんかった…。困って探し回っていて一軒の家を訪ねたところ、そこがたまたま城趾保存会の会長さんのお宅で案内してもらった。車で着いていったら県道23号に大きな看板が…なぜ気がつかなかったのだろう。
 城の入り口に来た時、そのまま車で行くかどうか尋ねられたが普通車では無理そうなので徒歩で登った。途中いろいろと話をしている内に長宗我部ファンだとばれた。
「確かにここら辺の人は長宗我部のことは良く思っていないけど、もう400年以上前の話だからねえ。これからは城を整備して長宗我部ファンの人にも来てもらいたいと思ってるよ」
 ほっ…。まあ香川県ではそんなに大したことにはならんと思うけど。

(車で行くのは止めて正解だった。絶対に擦っていた。この先に駐車場はあるから軽自動車なら大丈夫だと思う)

(城趾にある看板。西から東に向かって郭などが築かれているのは、元来、三好氏に備えてのものだったのだろう)

(外郭1)

(土橋と堀切)

(竪堀)

(ねらい岩。ここから敵を弓矢で狙い撃ったという)

(本丸跡。最近、観光客のために桜を植えられたそうな。個人的には見晴らしがいい方が…と思ったが見解の相違だろう)

(城の北側の大麻山に建つ電波塔。この辺りは高い山がないため、ここに電波塔が集中している)

 ここで会長さんとはお別れ。本当にありがとうございました!

(城の南にある横死ヶ谷。城主の近藤氏が落城の際、ここに落ちて亡くなったことから名付けられた)

 ここで時計を見ると17時。善通寺の知り合いと待ち合わせの時間が迫っていたため、急いでホテルに向かった。何とか間に合い、知り合いと合流。おっさん二人で行くには場違いな洋風居酒屋に行って長宗我部氏や讃岐の戦国史について話した。

(その時に教えてもらった「讃岐の古城跡と豪族たち」。戦国讃岐のマニアックな情報が載っていた)

 数時間、飲んで知り合いとはお別れ。いやあ~、楽しかった。かなり酔っていたため、ホテルに着いたらすぐに寝てしまった。
2日目の感想:前半はバリィさん、後半は長宗我部と好きなものと触れ合った1日だった。夜は旨い酒も飲めるし最高だった。


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2014年愛媛・香川行き(2日目その3:粟井神社・讃岐藤目城)

 せっかく大野原町まで来たんだから藤目城も行ってみようと思い、車で移動。あっさり着いた。

・粟井神社・・・ 香川県観音寺市粟井町1719ー2。祭神は天太玉命。842年の記録に登場するほどの古社だった。1578年、長宗我部元親の藤目城攻撃の際、城の麓にあったため焼失している。

(鳥居)

(拝殿)

(斎藤家を祀る御膳守神社…だと思う。毎年、5月と11月に末裔の方が集まって先祖の霊を慰めているという)

・讃岐藤目城・・・香川県観音寺市粟井町。斉藤氏の居城。1576年、長宗我部元親に降伏した斉藤氏だったが、讃岐侵攻を阻止しようとした十河存保の命で奈良元政が兵を派遣し、藤目城から斉藤氏を追い出し新目弾正を城代とした。しかし1578年に元親が再び攻撃し奪い返している。

(二の丸)

(二の丸に建つ城趾碑。藪の中にあるため撮影がしづらい…)

(城趾に建つ藤目山不動院)

(本丸(四国ミニ八十八箇所))

感想:遺構があったらしいのだが見ても良く分からなかった。


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2014年愛媛・香川行き(2日目その2:萩原寺(地蔵院)・十輪寺)

 松山市から1時間ほどで香川県の西端・観音寺市に到着。さてこれから史跡巡りだ。

・萩原寺(地蔵院)・・・香川県観音寺市大野原町萩原2742。真言宗。807年、空海が刻んだ仏像を本尊として安置したのが始まりだという。河野氏・細川氏・仙石氏・生駒氏などの崇敬を受けている。

(細川勝元が寄進した仁王門)

(石段)

(六地蔵)

(本堂)

(太子堂)

感想:元親も庇護した…と思って来てみた。


・十輪寺・・・香川県観音寺市大野原町丸井502。真言宗大覚寺派。藤目城主・斉藤氏の菩提寺である。本尊の地蔵菩薩は空海の作と伝わり、藤目城が攻められた際に出撃して矢を受けたことから矢受地蔵と呼ばれる(矢を取ったことから矢取地蔵とも)。菩薩像の背中には矢の刺さった跡があるという。

(本堂)

(地蔵)

(藤目城主歴代の墓)

 矢受地蔵を拝もうと思ったのだが、無住のため誰に頼んでいいのか分からない…。そこに住職の家だったところに住んでいた若い男性が出てきて「寺を管理されている方のところに行くので一緒に行きますか?」と言われ、お言葉に甘えて軽トラックに乗せてもらい管理されている方のところに行った。途中、これからの人生について相談を受けたが、答える前に着いてしまった…。
 しかしそこで分かったのは「萩原寺の末寺みたいになっているので、そちらに電話して下さい」という情報…。さっき行った寺やん!
「これからどうします? 十輪寺まで送ってもいいですし、近いですから歩いても帰ってもらってもいいですけど…」
 若い男性に尋ねられたが何度も甘えるも悪いだろうと思い自分で帰ることにした。帰路、萩原寺に電話したら
「本尊は非公開です」
 と断られた。仕方が無いね。しかしまあ十輪寺に着かんなあ、と思ってスマホで確認したら3キロくらいあった…。話しながら来たんで気がつかなかったよ。しかも道もロクに覚えていないし。炎天下の中、何度も行き止まりに出ては引き返すというのを繰り返してやっと車に着いた。時には厚かましいのも大事だと思った。


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