・讃岐麻城・・・香川県三豊市高瀬町上麻。近藤氏の城だったが、1578年に長宗我部元親によって落とされている。白地城を追い出された大西覚用が一時、この城に逃げ込んでいる。
ここはとにかく場所が分からんかった…。困って探し回っていて一軒の家を訪ねたところ、そこがたまたま城趾保存会の会長さんのお宅で案内してもらった。車で着いていったら県道23号に大きな看板が…なぜ気がつかなかったのだろう。
城の入り口に来た時、そのまま車で行くかどうか尋ねられたが普通車では無理そうなので徒歩で登った。途中いろいろと話をしている内に長宗我部ファンだとばれた。
「確かにここら辺の人は長宗我部のことは良く思っていないけど、もう400年以上前の話だからねえ。これからは城を整備して長宗我部ファンの人にも来てもらいたいと思ってるよ」
ほっ…。まあ香川県ではそんなに大したことにはならんと思うけど。
(車で行くのは止めて正解だった。絶対に擦っていた。この先に駐車場はあるから軽自動車なら大丈夫だと思う)
(城趾にある看板。西から東に向かって郭などが築かれているのは、元来、三好氏に備えてのものだったのだろう)
(本丸跡。最近、観光客のために桜を植えられたそうな。個人的には見晴らしがいい方が…と思ったが見解の相違だろう)
(城の北側の大麻山に建つ電波塔。この辺りは高い山がないため、ここに電波塔が集中している)
ここで会長さんとはお別れ。本当にありがとうございました!
(城の南にある横死ヶ谷。城主の近藤氏が落城の際、ここに落ちて亡くなったことから名付けられた)
ここで時計を見ると17時。善通寺の知り合いと待ち合わせの時間が迫っていたため、急いでホテルに向かった。何とか間に合い、知り合いと合流。おっさん二人で行くには場違いな洋風居酒屋に行って長宗我部氏や讃岐の戦国史について話した。
(その時に教えてもらった「讃岐の古城跡と豪族たち」。戦国讃岐のマニアックな情報が載っていた)
数時間、飲んで知り合いとはお別れ。いやあ~、楽しかった。かなり酔っていたため、ホテルに着いたらすぐに寝てしまった。
2日目の感想:前半はバリィさん、後半は長宗我部と好きなものと触れ合った1日だった。夜は旨い酒も飲めるし最高だった。